現存12城その⑤「彦根城」

歴史

滋賀県にある現存天守12城の1つの彦根城は、国宝に数えられる5城の1つでもあります。
戦国時代に築かれた城が多い中、江戸時代になってから築城された城でもあります。
また、いち早くキャラクターを生み出して成功した城としても有名です。
彦根城の歴史や、特徴などを解説します。

彦根城の歴史

彦根城は、徳川四天王の1人である井伊直政が近江国北東部に封じられ、その子供である直継が幼少だったことから家老の木俣守勝が家康に相談し、1603年に築城を開始した城です。

工事は3期に分けて行われ、1622年に完成しました。
琵琶湖に面した彦根山に築城され、彦根山の別名が金亀山だったことから金亀城とも呼ばれています。

彦根城を築く際は、彦根藩の他の城を移転、もしくは破却して建設の資材に充てたため、彦根藩の城はこの1つだけとなりました。
それは、奇しくも一国一城令の手本を見せることとなったのです。

1854年に天秤櫓の大修理が行われた際は、石垣の半分を積み直しました。
そのため、石垣の積み方にも違いが生じています。
明治維新後は廃城令で多くの城が廃城となったのですが、彦根城は保存されています。

そして、彦根城には桜が植えられていなかったのですが、1934年に100本のソメイヨシノが植えられます。
1944年には、井伊家から彦根市に彦根城やその周囲が寄付され、それ以降は市のものとなりました。

1951年に彦根城跡は国の史跡に指定され、天守等6棟は重要文化財に指定されます。
そしてその翌年、天守と附櫓、多聞櫓1棟は国宝として指定されました。
1963年には馬屋が重要文化財に指定されています。

1993年委は、天守等を含めて多くの個所を修理し、平成の大修理と呼ばれました。
2006年には、日本100名城の50番に選ばれます。
そして、2015年には琵琶湖とその水辺景観の1部として日本遺産に登録されています。

また、彦根城は世界遺産登録も目指していて、1992年には暫定リストに登録されています。
推進委員会な度も設置しているのですが、登録にはいくつかの課題があるのです。

2018年に登録のコンセプトを決定し、2020年委初めて推薦書原案を提出しました。
しかし、市長は暫定リストに登録されてから30年近く経過しているため、運動の打ち切りも視野に入れています。

彦根城のエピソード

彦根城と言えば、ひこにゃんが有名です。
実は、ひこにゃんにはモデルがいるのです。
それは、井伊直政の次男である直孝との縁です。

直孝が江戸の郊外に狩りをしに行ったとき、急な雨によって大木の下に入り、雨宿りをしました。
すると、向かいのさびれた寺院にいる1匹の白猫が、右前足を上げて招いていました。

ふらふらと猫に近寄っていくと、今までいた大木に雷が落ちます。
そのままでいたら死んでいたところを助けられたため、直孝は深く感謝しました。
この猫が招き猫の元祖であり、ひこにゃんのモデルにもなったのです。

彦根城が築城される際にその立地を決めたのは木俣守勝で、琵琶湖の内湖に面していて輸送の便が良く、交通の要衝である佐和山から西に2kmほどの位置であること東と南には平地が広がっていて小高い丘なので戦略的にも有利であることなどを理由として挙げ、家康もそれに納得して場所が決定しています。

そして建築については、家康の命による天下普請として工事を開始しており、大名28家、旗本9家が動員されています。
工事が開始されて間もなく、まだ将軍に就任していなかった徳川秀忠が使者を使わして炎天下での作業をねぎらい、家康は自ら普請の様子を検分していました。

こういったエピソードから、彦根城は大阪と西方に対しての戦略拠点として重視されていたことがわかります。
そのため工事も急ピッチで行われており、1603年に築城を開始して1607年にはおおむね完成するというかなり早い期間で出来上がっていったのです。

工期を短縮することができたのは、佐和山城や周辺の古城、廃寺から資材を得て、再利用してきたからです。
彦根藩内には彦根城以外にもいくつかの城がありましたが、それらがなくなり彦根城だけとなりました。

また、彦根城の多聞櫓は長浜城の大手門を移築したもので、渡り廊下は城の城門を解体して移築、店主も他の城の4重5階のものを縮小して移築したものと分かっています。
こうして再利用を徹底したことで、短期間で築城することができたのです。

そんな彦根城も、明治に入り廃城令が出されたことで1878年に解体することが決まり、天守には解体用の足場が架けられていました。
しかし、その運命を免れて現在まで残ることができたのです。

北陸巡幸を終えた明治天皇が、彦根近郊に宿泊したことがきっかけです。
それに随行していた大隈重信が彦根城を訪れて解体されることを惜しんだため、天皇に保存するべきだと奏上し天皇がそれに同意したことで、保存されることとなったのです。

まとめ

観光地として大人気の彦根城は、家康の命によって築城されました。
大隈重信の進言で明治天皇の許可を得たことで廃城令を免れるなど、かなり数奇な巡りあわせのある城であり、多くの城や寺から建材を集めて作られた珍しい城でもあります。
彦根藩にあった他の城の歴史も、一緒に背負った城であると言えるでしょう。
これは木造中心だからできるもので、石材が多い西洋建築では全くないわけではありませんが、難しいでしょう。

タイトルとURLをコピーしました