現存12城その⑫「高知城」

歴史

高知城は高知県高知市にある、現存天守12城の1つです。
江戸時代には二の丸御殿に土佐藩の藩庁が置かれていて、本丸御殿や追手門なども現存しています。
南北朝時代に築かれた城が前身となっていると言われる高知城の歴史や、特徴的なエピソードを紹介します。

高知城の歴史

高知城が建てられている大高坂山には、元々南北朝時代に大高坂山城、もしくは大高坂城という城があったとされています。
付近の豪族である大高坂氏によって築かれたとされているのですが、定かではありません。

再び築城されたのは、1587年のことです。
長曾我部元親が、九州征伐従軍から帰国してから城を築いたとされていますが、1585年には元親がすでに大高坂を本拠としていた、という説もあります。

しかし、1591年に水はけの悪さから元親は大高坂山城を捨てて、桂浜に近い浦戸城を改城して居城にしました。
1601年には関ケ原の戦いで元親の子の盛親が西軍に寄与して改易されたため、山内一豊が土佐一国24万2千国を与えられて浦戸城に入城します。

浦戸は城下町を築くスペースが足りず、一豊は大浦坂山に改めて城を築くことにしました。
当時は失言が広がるデルタ地帯で、元値は築城を断念したほど水はけが悪い土地であり、山内家の技術では困難と予想されていました。

そこで、一豊は関ケ原の戦いで罪人とされ蟄居していた織田信秀の元家老である百々綱家を赦免するよう徳川家康に嘆願して、認められます。
百々の配下には石垣技術に優れた穴太衆がいて、築城技術には定評があったのです。

百々を召し抱えて総奉行に任じ、築城と城下町整備について全権を委ねます。
翌月から百々は大工頭や家事頭、築壁造頭などを率いて、大高坂山に本丸を造営して城下町を整備するため、治水工事に着手しました。

1日に1200人を超える人が参加し、月が明るい日は夜通し工事していたともいわれており、1603年委は本丸と二の丸の石垣が完成します。
その後、本丸が完成して一豊が入城し、河中山城(こうちやまじょう)と改名されました。

しかし、水害が何度も起こったため2代目藩主の忠義は表記を変えるよう命じ、高智山城と改名されます。
当時から、省略して高知城と呼ばれていました。

1611年には難関の三の丸も竣工し、高知城の縄張りが完成します。
しかし、1727年に高知城下は大火に見舞われて大手門以外はほぼ焼失したため、1729年から1753年にかけて再建されたものが現在残っています。

1873年の廃城令で高知公園となり、現存する建造物以外は破却されました。
1910年に公演地化され、1934年に天守など15棟の建造物は当時の国宝保存法で国宝に指定され、1950年に文化財保護法に基づいて改めて重要文化財に指定されます。
1959年には国の史跡として指定され、2006年に日本百名城の84番に選定されます。

高知城のエピソード

高知城は、日本唯一の城と言われています。
それは、他の城に見られないものが多数あるからです。
高知城には、どのような特徴があるのでしょうか?

高知城は、南海道随一の名城と言われています。
2017年から2019年にかけては、大政奉還及び明治維新150年を記念した「志国高知幕末維新博が開催され、大河ドラマで龍馬伝が放送された年を凌ぐ観光客が訪れています。

高知城は高知市街の多くの場所から見ることができる、高知のシンボルであり人々の誇りでもあります。
県外からの観光客には、城のある町としての情緒や贅沢さで羨望のまなざしを向けることも多いのです。

高知城を訪れると、そのスケールに驚かされる人も多いでしょう。
追手門を潜って石段を登ると、青空の中に浮かび上がる天守が目に入るのです。
静寂の中で石垣の間に佇んでいると、思わず当時にタイムスリップしたようにも感じるでしょう。

高知城は日本に12城しかない天守が現存する城ですが、その中でも日本で唯一の遺構を持つ城として知られています。
天守は1727年に焼失して1747年に再建されたものですが、その際に創建当初のものを再建したと伝えられているのです。

高知城は、天守や御殿、廊下橋など石垣を含めた本丸全体の建築群が完全に現存している唯一の城です。
明治維新の頃は250以上の城郭があったのですが、その中で唯一本丸の全機能を残す高知城は、非常に貴重な城なのです。

高知城は非常に水はけの悪い湿地に築城されているのですが、それゆえに排水対策もしっかりとしています。
排水のため、石垣には石樋が設けられているのです。

この石樋の役割は、石垣に泥水が浸水して崩落するのを防ぐことです。
これも、高知城ノリッチならではの設備であり、他の城ではめったに見ることがありません。
石樋の下には、地面を保護するために水受け用の敷石もあります。

まとめ

高知は、幕末において非常に注目された場所です。
高知城も多くの観光客が訪れる人気スポットですが、他の城にはない特徴や日本で唯一本丸の機能がすべて残っている点等から、歴史好きな人は特に注目しています。
当時の姿を色濃く残していることから、過ぎ去ったときに思いを馳せることもできる場所です。
城好きの人や幕末のファンの人は、是非一度訪れてみてください。

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