浪岡城の歴史と特徴

歴史

青森県の城と言えば弘前城が有名ですが、かつては他にも城がありました。
青森県青森市浪岡にあった浪岡城もその1つで、弘前城よりも先にあり青森県内では国の史跡として初の指定を受けています。
浪岡城は、どのような城だったのでしょうか?
浪岡城の歴史と、特徴について解説します。

浪岡城の歴史

浪岡城があった敷地の四隅には、築城前の1373年にそれぞれ神社が配置されました。
これは平安京を模したもので、そのうち3つの神社は北中野広峰神社、浪岡八幡宮、五本松加茂神社として現在も残っていて、1つは廃社となっています。

浪岡城が築城されたのは室町時代中期の1457年から1460年頃の長禄年間、もしくは1460年代のことで、築城主は浪岡北畠氏でした。
浪岡北畠氏は、南北朝時代に後醍醐天皇を助けた北畠親房の子孫と言われているのですが、いくつかの説があります。

例えば後醍醐天皇の重臣だった南朝派の北畠顕家の子孫である説や、奥州平泉を治めていた藤原秀衡の六男の藤原頼衛が兄の泰衡と対立して敗れて流れ着いた説、山形県の天童城を拠点としていた北畠天童丸が流れ着いて土着した説などがあるのです。

浪岡城が最も栄えていたのは1500年代前半で、当時は京都との交流も盛んであり寺社も数多く建立していました。
また、戦国時代には大浦氏や大光寺氏と鼎立して津軽に権勢をふるっていました。

しかし、1562年に川原御所の乱と呼ばれる親族間での争いが起こり、勢力は大きく衰えてしまいます。
そこを大浦為信、後の津軽為信につかれ、1578年に落城してしまいます。

当時の浪岡北畠氏は十代の顕村が城主だったのですが、落城に伴い割腹しています。
それをもって名門浪岡御所の歴史は幕を閉じることとなり、それからおよそ400年の間、城跡は畑や水田などに使われていきます。

しかし、1940年2月10日、浪岡城跡は国の史跡としての指定を受けることとなりました。
青森県内には国の史跡として指定を受けたものは数多くありますが、浪岡城は県内でも最初に指定を受けているのです。

また、2017年には続日本100名城が発表されたのですが、その中では3番、通算では103番に選定されています。
候補となったのは約500城で、その中から優れた史跡として評価を受けたのです。

浪岡城の特徴

浪岡城は東西におよそ940メートル、南北におよそ245メートル広がり、指定面積は約136,300平方メートルあります。
弘前城が創建当初は東西612メートル、南北947メートルで総面積が385,200平方メートルなので、およそ3分の1ほどの広さです。

城内には8つの館があり、それぞれが幅20メートル、深さ5メートルほどの二重掘りで分けられて扇状に広がっているのが特徴です。
堀とその中の土塁によって、守りを強化することを目的としていたと思われます。

浪岡城跡の中心となるのが内館で、それ以外にも北館や東館、西館などが調査されています。
内館は主郭で、城主もここに住んでいました。
内館の広さは東西120メートル、南北は約85メートルです。

内館や西館の北にある北館は最も広く、東西約200メートル、南北約100メートルです。
家臣の屋敷があった地で、全面二重の堀で囲まれていてその中央に土居がありました。
西館は内環の西にあり、北館と検校館との間に二重の掘割があり、その中央に土居があります。

東館があるのは北館の東側で、最も広い部分で東西に約120メートル、南北が約70メートルです。
北と南に二重の堀があって、南の猿楽館の堀には中央に土居があります。

猿楽館は、ここで猿楽が催されたことから名前が付けられました。
内館から見て東側、東館から見ると南側にあります。
西と北は二重の堀になっていて、東側は断崖となっています。

検校館は西館のさらに西側にあり、検校屋敷とも呼ばれます。
全方向に堀があり、特に東側は堀が二重になっています。
東側の東には新館があり、南側が断崖になっています。

発掘調査では、当時使用されていたものが多数出土していることから、戦国城館として使われるだけではなく生活の拠点となっていたことも明らかになっています。
浪岡城跡には「中世の館」があり、出土した食器や武器類、宗教用具、建築関係用品などが展示されています。

現在調査されているのは全体のおよそ3割程度なので、まだ調査されていない建造物跡や異物が眠ったままになっています。
今後、新たな発見があるかもしれません。

また、土塁の上は人が通ることができるような幅があり、これを通路として利用していたとも推測されます。
相することで複雑な経路を作り、城全体を迷路としていたのでしょう。

また、かつて手塚治虫が週刊少年ジャンプに「百物語」というゲーテの「ファウスト」を日本を舞台にしたものに翻案した作品を書いた際、浪岡城が主要な舞台となりました。
城主や落城についても書かれているものの、史実に基づいたものではなくあくまでもモチーフとなっています。

まとめ

現在の青森県に古くからあった浪岡城は、当時の生活を窺い知ることができる遺物が数多く出土している、歴史的価値が高い史跡です。
国の史跡に指定され文化財でもある浪岡城跡ですが、見学料も無料で犬を連れて散歩もできる、気軽に訪れることができる場所です。
当時の貴重な遺物を見ることができる中世の館と併せて、一度見てみることをおすすめします。

タイトルとURLをコピーしました