江川卓は、かつて読売ジャイアンツに所属していた元プロ野球選手であり、セ・リーグを代表するエースとして活躍した偉大な投手です。
しかし、ジャイアンツへの入団時に起こった“空白の1日事件”により、江川氏は一時期ヒールのような扱いを受けることになりました。
今回は、空白の1日事件の詳細を中心に解説します。
江川卓の経歴~プロ入り前まで~
江川氏は、栃木県の強豪校である作新学院高校の野球部に所属していて、高校1年生のとき、県大会においてノーヒットノーランと完全試合を達成します。
また、高校2年生のときには、ノーヒットノーランを4回、完全試合を1回達成していて、さらには高校3年生のときにも、ノーヒットノーランを3回達成しています。
1973年のセンバツ高校野球でマークした一大会60奪三振という記録は、50年近く経った今でもまだ破られていません。
その後、法政大学に進学した江川氏は、1年生からエースを任され、大学通算47勝を挙げ、通算奪三振443個という当時の奪三振記録を樹立しています。
空白の1日事件の詳細
このように、アマチュア時代から輝かしい成績を残していた江川氏は、1977年に行われたプロ野球ドラフト会議最大の目玉として注目され、当時福岡に拠点を置いていたクラウンライターライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)が交渉権を獲得しました。
しかし、在京のセ・リーグ球団への入団にこだわる江川氏は、頑なに入団を拒否し、結局はアメリカへの野球留学、つまりプロ野球浪人の道を選択します。
当時の日本プロ野球協約では、交渉権を獲得した球団は、翌年のドラフト会議の前々日まで、対象の選手と交渉をすることが可能でした。
翌年に開催されるドラフト会議において指名があった場合、当然また別の球団が交渉権を獲得することになりますが、前年にライオンズが獲得した交渉権は、前々日に失効するものだったのです。
つまり、江川氏が入団を拒否した翌年のドラフト会議における前日だけは、どの球団も交渉権を持たなかったということです。
こちらが、空白の一日事件と呼ばれている所以です。
前年にライオンズが獲得した交渉権が切れる1978年11月20日と、ドラフト会議が実施される11月22日のちょうど間である11月21日に、読売ジャイアンツは江川氏と入団交渉を行い、契約にまでこぎつけていました。
当時のプロ野球協約では、ドラフト対象の選手を日本の中学、高校、大学に在学している者、学校中退者、社会人野球選手としていたため、海外でプロ野球浪人の状態であった江川氏は対象外であり、上記のジャイアンツのような交渉、契約が可能であるという状況だったのです。
しかし、違反にならないからといって、このような交渉や契約をしてしまうと、ドラフト制度の根幹を揺るがすこととなってしまいます。
それを危惧した当時のセ・リーグ会長である鈴木龍二氏は、ジャイアンツと江川氏の契約を無効としました。
そして、空白の1日の翌日、ドラフト会議は通常通り開催され、その結果阪神タイガースが江川氏との交渉権を獲得しています。
ちなみに、契約を無効とされたことに納得がいかなかったジャイアンツは、この年のドラフト会議を欠席し、鈴木会長に対し異議申し立ての文書を手渡しています。
その後に行われた衝撃的なトレード
結果的に、江川氏は阪神タイガースが指名することになりましたが、ジャイアンツはこの流れに対して黙っていませんでした。
「12球団が揃っていないドラフト会議は無効」「これが認められるのであればセ・リーグを抜ける」と不満を爆発させ、猛抗議しますが、当時の金子家基コミッショナーは、「勝手にドラフトに参加しなかっただけ」とこれを一蹴し、正式に江川氏のジャイアンツ入団は白紙になりました。
しかし、ジャイアンツを一蹴した金子コミッショナーは、その後急に前言を撤回し、「江川は一度タイガースに入団した後、トレードでジャイアンツに出してほしい」という要望を述べます。
こちらは、自身の主張を押し通すジャイアンツがヒールになりすぎていることにより、今後のプロ野球界に大きな溝を生みかねないという思いからの発言とされていますが、本当のところは定かではありません。
もちろん、こちらの発言に対し、正式に交渉権を獲得したタイガースは激怒しましたが、事態はさらに急展開を迎えます。
なんと、タイガースの球団社長と江川氏が急遽会見を開き、「江川くんとタイガースの契約が終わった」と話し、突如ジャイアンツ入団が決定したと伝えられたのです。
また、同日中には、当時ジャイアンツ投手陣の大黒柱であった小林繫氏と、ルーキーである江川氏の交換トレードを行うと発表されました。
こちらのトレードは、当時のプロ野球ファンに衝撃を与え、なぜ急遽トレードが決まったのかという理由については、明らかにされませんでした。
そして、ジャイアンツ側からもその理由は語られることなく、真相はうやむやのまま、江川氏はジャイアンツに、小林氏はタイガースに入団することとなったのです。
まとめ
ここまで、江川卓氏の空白の1日事件について解説しましたが、いかがでしたでしょうか?
空白の1日事件は、当時のプロ野球における制度の穴が生んだ悲劇の事件だと言えます。
現在のプロ野球協約は、このような事件が発生しないような仕組みとなっていますが、本当に大事なのは、各球団が正当なドラフト会議を行い、選手やその関係者を巻き込まないような気持ちを強く持つことだと言えます。