現存天守12城の1つである犬山城は、その立地から戦国時代では多くの戦国武将が関わった場所です。
また、国宝に指定されている5つの城の1つでもあります。
そんな犬山城には様々な歴史があるのですが、それにはどのようなものなのでしょうか?
犬山城の歴史と、特徴的なエピソードについて解説します。
犬山城の歴史
犬山城は、1537年に尾張国と美濃国の境にあたる、木曽川の南岸にある高さ88メートルの丘の犬山に築城されました。
別名では、白帝城と呼ばれます。
元々は岩倉織田氏の砦があり、それを織田信長の叔父である織田信康が改修して犬山城を築きました。
その後は池田恒興や織田勝長が入城し、1584年の小牧・長久手の戦いでは尾張国に対する西軍の橋頭保となり、羽柴秀吉がこの城日本人を敷いて家康と対峙しました。
その後は尾張国を領有する織田信雄に返還されたのですが、信雄が改易されると豊臣英次の領地としてその実父の三好義房が城代を勤めました。
豊臣政権下では石川貞清が城主となり、現在の形に改修しました。
江戸時代になると、尾張藩の附家老である平岩親吉が入城し、その後は明治まで成瀬氏が9代にわたって城主となっています。
そして、2004年までは日本で唯一となる個人所有の城となっていました。
財団法人(現在は公益財団法人)犬山城白帝文庫が2004年に設立されて犬山城も移管され、2006年には日本100名城の43番目に選定されました。
1935年に国宝保存法に基づいて国宝に指定され、1952年には文化財保護法に基づいて改めて国宝として指定されました。
1959年に伊勢湾台風が襲来した際は、当地を直撃して大きな被害を出しています。
犬山城は1961年に解体修理を行い、1965年に完了しています。
その後、2014年には店主の部分修理が行われ、2017年に雷が落ちたことで天守の鯱が損壊したので修理を行い、翌年に修理が完了しています。
その後、2018年には犬山城跡が国の史跡として指定されています。
2019年には耐震工事も行われていて、2021年からは犬山城南側の発掘調査を行い、堀などが地中に良好な状態で残っていることがわかっています。
天守の構造は外観3重、内部4階、地下には踊場を含めて2階あります。
天守南面と西面には平屋の付櫓が付属していて、望楼部もある望楼型天守と言われる構造です。
犬山城に関するエピソード
犬山城には、どのような特徴があるのでしょうか?
犬山城にまつわるエピソードや、一風変わった点などを紹介します。
具体的に、どのようなところなのでしょうか?
犬山城は小高い丘の上という立地に建てられた城ですが、その背後は断崖となっているため攻め入ることは容易ではありません。
そのため、後堅固の城と呼ばれていました。
ところが、城下町側から敵に包囲されてしまった場合は、反対に逃げ場が亡くなってしまいます。
そのせいで、実は3階も落城しているのです。
尾張徳川家の附家老である成瀬正成が城主となった際は、外堀と土塁で城下町全体を囲むようにした惣構の造成を行いました。
ただ、それが完成する頃には戦もほとんど起こらなくなっていたため、活用されることはありませんでした。
犬山城は、つい最近まで個人所有の城であったことで有名です。
所有していたのは成瀬正成から続く成瀬家で、およそ400年間所有していたのです。
最後の城主は、成瀬家最後のお姫様となる成瀬純子氏です。
個人所有の厳しさから、公益財団法人を設立して移管することとなりました。
また、犬山城の城下町は未だに貴重な建築物や古くからの町割りが残っていることで知られています。
かつての地図では、町の中心部に鍛冶屋町や魚屋町、鵜飼町など商人や職人ごとに分けて12の町人町を置いていました。
その周りを武家屋敷が囲み、さらに外堀や土塁で取り囲む形になっていたのです。
この3重構造は犬山城城下町の特徴で、敵に攻められたときのことを考えて作られました。
町人町の中には、今でも江戸時代の地名がそのまま残っている所もあります。
町名由来の看板も設置されているので、江戸時代の街並みに思いを馳せたいという方は一度訪れてみるのもいいでしょう。
犬山は、江戸時代に木曽・飛騨から切り出した木材を京都・大坂方面に運ぶ際の中継地として栄えていました。
当時は筏を使って木材を運ぶ筏流しが主流だったので、中継地は非常に重宝されたのです。
この木材は、豊臣秀吉が大阪城を築城する際に使われるものや伏見城の築城に用いられるもの、京都で邸宅を新築する際に使われるものなど、様々な用途で使われました。
そして、犬山も経済的にお菊発展していったのです。
犬山城の東にある名鉄犬山ホテルの敷地内の日本庭園「有楽苑」には、尾張の大茶匠である織田有楽斎が建てた国宝茶室「如庵」があることでも有名です。
それ以外にも、重要文化財や復元された茶室など、貴重な機構があるため、一見の価値があるでしょう。
まとめ
犬山城は、歴史上非常に重要な城であり、織田や豊臣、徳川それぞれが奪い合っていました。
小高い丘の上にあることから遠くにいても見ることができ、白帝城とも呼ばれる元が砦とは思えないような美しい城です。
また、天守最上階が絨毯張りというのも、他の城にはない特徴でしょう。
配乗や地震を乗り越えて今も残る犬山城は、当時の歴史を伝える貴重な建物です。