首里城の歴史と特徴

歴史

沖縄にある、かつて琉球王国の王城であった首里城は、沖縄を代表する城郭でした。
残念ながら現在は焼失してしまいましたが、見た目も特徴的で観光スポットとしても人気の城であり、世界遺産にも登録されました。
首里城はこれまで、どのような歴史を辿ってきたのでしょうか?
その特徴と併せて、解説します。

首里城の歴史

首里城がいつ築城されたのか、その年代は明らかになっていません。
近年の発掘調査によると、最古の遺構の年代は14世紀末のものとみられていて、1322年から1429年までの古代琉球の三山時代にはすでに中山の城だったことがわかっているため、13世紀末から14世紀にかけて築城されたと推定されています。

三山を統一した尚巴志は琉球王朝を立て、王家の居城として首里城を用いました。
そのため、首里は首府となり栄えます。
跡を継いだ第二尚氏の時も同様でしたが、首里城は何度も消失してその度に再建していたことが史書の記録に残されています。

しかし、再建する際に問題となったのが、木材です。
沖縄では良材が不足しがちなので、木材が不足していたのです。
そのため、薩摩藩から木材の提供を受けて再建したり、本島北部で将来を見越して植林を行ったりしていました。

焼失について、分かっている1度目は1453年に起こっています。
第一尚氏の尚金福王が死去した後、王位争いが起こって城内が破壊されてしまったのです。

その後再建された様子は李朝実録に記述されていて、1456年には外城、中城、内城に分けられていて厩や倉庫は外城、警備兵は中城に置かれ、二層の屋根を持ち中には王の滞在場所や宝物置き場などがある閣は内城にありました。
内城には、100名以上の侍女が控えていたと言われています。

その後、1660年に再び焼失し、再建には11年かかりました。
3度目は1709年と再建されてから40年も経っておらず、当時は財政が逼迫していて薩摩藩から1712年に原木を2万本近く提供されています。

1879年に沖縄県が設置されると、首里城の建物は政府の所在地ではなくなり陸軍の軍営になりました。
その後、朱里高等女学校の校舎として利用されています。

老朽化が懸念されて1923年に正殿の取り壊しも検討されたものの、文化調査を行っていた大学教授ら関係者の奔走によって回避されました。
その後、古社寺保存法の対象になるよう正殿の後ろに沖縄神社を建立して正殿は拝殿に位置付け、修復の予算を国が負担するように取り計らっています。

1925年には特別保護建造物に指定されて正殿の改修工事が行われ、1929年に制定された国宝保存法で、首里城は国宝に指定され保存されることとなりました。
しかし太平洋戦争の沖縄戦では首里城の地下に地下壕が彫られたこともあり、アメリカ軍艦ミシシッピなどの砲撃を受けて焼失てしまいます。

さらに激しい戦いが続き、首里城だけでなく城下の街並みや琉球王国の宝物や文書などの文化財も多数破壊されてしまいます。
戦火を免れた宝物庫も、中身をすべて米軍に略奪されてしまいました。

宝物庫の中身は戦後に一部が返還され、所在が明らかなものは返還の交渉を行っています。
首里城跡には琉球大学が置かれ、多くの遺構は埋められてしまいました。

1958年に守礼門が再建されると、その周辺の建築物も再建されるようになりました。
1972年に日本へと復帰した際は国の史跡に指定され、城の入り口の歓会門とその周囲の城郭が再建されています。

1979年に琉球大学が移転すると、首里城再建計画が策定されて本格的な復元が始まります。
正殿も1989年から再建が始まり、屋根瓦は琉球瓦を唯一生産していた奥原製陶の尽力で復元されます。

しかし、2019年10月末に火災が発生して、正殿と北殿、南殿は全勝してしまいます。
2022年11月、首里城公園内の特設会場で正殿再建を目指す起工式が行われ、26年秋に完成を目指すこととなりました

首里城の特徴

首里城は、他の日本の城と違い中国の影響を色濃く受けていて、正殿は紫禁城を見本にしていると言われています。
門をはじめ、各種建築物は赤いのが特徴ですが、これは漆による朱塗りです。
また、屋根瓦には琉球瓦が使われていましたが、当初は高麗瓦が用いられていました。

また、各部の装飾には龍が多用されているのですが、これは国王を象徴するものです。
再建されたころは戦乱がない平和な時代だったので、軍事目的ではなく政治の中心としての役割を重視されて設計されています。

正殿の両側には北殿・南殿があるのですが、その様式は北が中国様式、南が日本様式に分けられています。
それぞれの国の使者を迎える場所をそれぞれ用意している点で、琉球王国は外交力が非常に高いと言われています。

まとめ

特徴的な外見で有名な首里城は、残念ながら現在は焼失しています。
歴史上で5回目の消失となったものの、再建されることも決定しており再びその美しい姿を見せてくれるでしょう。
尚、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」で世界遺産に登録されているのですが、実は首里城ではなく首里城跡として登録されているため、建物や城壁などは復元されたものの世界遺産には含まれていません。

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