現存12城その②「松本城」

歴史

現存12城の1つである松本城は、長野県松持氏にある城です。
以前は深志城という名前で、安土桃山時代から江戸時代初期に建造された現存天守の1つとして、国宝指定されています。
松本城には、どのような歴史があるのでしょうか?
また、城にまつわるエピソードはどのようなものがあるのでしょうか?

松本城の歴史

松本城は、信濃守護家小笠原家が臨場を建設した際に、支城として深志城が建築されたことが始まりとされています。
その後、武田氏の侵攻によって小笠原は追放されたのですが、武田氏の滅亡によって徳川家康の配下の小笠原貞慶の旧領を回復する形で戻り、城も松本城と名を改めました。

1593年に松本城天守の工事を石川康永が行ったものの、1613年に改易されて小笠原秀政が入封します。
ところが、大坂夏の陣で小笠原親子は戦死してしまったため、1617年には戸田康長が入封します。
そこから、松平直政、堀田正盛や水野忠清、戸田光慈、と城主が変わっていきます。

これは、松本藩が松本城の藩庁として機能していたことが原因と思われます。
水野家の後は、戸田市の嫡流である戸田松平家が代々居城としています。
1727年に本丸御殿が焼失した際は、それ以降の政務を二の丸で行うようになりました。

そして明治に入ると、松本城の天守が競売にかけられてしまいます。
解体の危機が訪れたものの、市川量造などの地元の有力者が買い戻し、難を逃れることに成功しました。

1876年には、当時薩摩県庁となっていた二の丸御殿が不審火によって全焼します。
そして、明治30年代頃になると天守が大きく傾いてしまい、松本天守閣天守保存会が設立されて修理費の寄付を広く募って1903年から1913年にかけて「明治の大修理」が行われました。

また、明治時代には堀が埋め立てられ、まず総堀の南部や外堀の頭部などが埋め立てられ、大手門枡形の東側に四柱神社を設置するための敷地として埋め立てられ、徐々にその範囲を拡大していきます。

三の丸の入口の馬出の堀も埋められ、二の丸にある松本中学校の校舎増築の際は内堀の一部も狭められます。
対象に入ると、住宅地にするためさらに多くの堀が埋め立てられ、最後まで残ったのは総堀の北部分ですが、それも昭和初期に市民プールを作るために姿を消してしまいます。

1930年に国の史跡に指定され、1936年には国宝保存法に基づいて店主と乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が国宝に指定され、1952年に同じ5棟が改めて文化財保護法に基づく国宝に指定されます。

太平洋戦争の終戦後、GHQの美術顧問が松本城を視察し、早急な解体調査が必要と勧告したことで、1950年から1955年にかけて解体復元工事を行いました。
これは、「昭和の大修理」と呼ばれます。

平成になってから黒門二の門や袖塀、太鼓門枡形などが順次復元されていきます。
2006年には日本100名城に29番目に選定されたのですが、2011年の長野県中部地震によって天守の壁等25か所にひびが入ってしまい、埋門の石垣もずれたことで、埋橋を渡っての入場が禁止されました。

松本城に関するエピソード

松本城には、多くの伝説が残されています。
その中には、真偽が不確かなものもあればありえないと証明されたものもあります。
どのような伝説があるのか、紹介します。

かつて武田信玄が小笠原長時を攻めた時、長時は北信濃の村上氏を頼って逃げました。
その時、大事にしていた白牡丹が敵に踏み荒らされるのを惜しみ、祈願所であった兎川寺の住職に託して落ち延びたため、兎川寺檀家の久根下家が代々「殿様の白牡丹」として守り続けていたという小笠原ぼたん伝説があります。
この牡丹は、昭和になってから松本城の本丸庭園に移植され、現在も咲き誇っています。

松本城は天守が傾いていてそれを修理したのですが、その傾きについても伝説があります。
かつて、1万人の農民が年貢を減らしてほしいと松本に集まった時、武士は農民の要求をいくつか受け入れたものの中心人物であった多田加助を始めとした数人は、騒ぎを起こした罪で磔の刑となりました。

磔にされた場所には多くの人が集まり、罪を許してほしいと叫んだり念仏を唱えたりしながら、最後には全員号泣しました、
加助は、みんなの年貢が減るなら安心して死んでいくと言って別れの言葉を言います。

しかし、実はその約束を記した紙は役人に取り上げられていたのです。
それを村人から聞いた加助は、怒りに満ちた声で「2斗5升、2斗5升…」と繰り返し叫び、血走った目で天守を睨むと、地響きと共に天主が傾いたとされています。

ただし、これは修理の際に、天守台の中の支持中が腐ってしまったことが原因と分かっています。
多田加助の伝説は、明治になってから作られたものと分かっています。

他にも、太鼓門の脇に置かれる玄蕃石の伝説や、家康の妹である松姫と戸田康長との結婚についての伝説、店主の張りを伸ばした匠の伝説などがあります。
多くの伝説がある松本城は、それだけ人々にとって心を惹かれるものだったのでしょう。

まとめ

松本城は、国宝5城と言われる5つの城の1つです。
現存する天主の中でも、5層6階の天守を持つ城では最古のものです。
多くの観光客が訪れる松本城には多くの伝説があり、それだけ思いをはせる人も多かったことがわかります。
また、店主が傾いてしまい修理した城という点でも珍しいものでしょう。
黒と白のコントラストが美しく、ライトアップイベントなどもある松本城をぜひ一度見てみましょう。

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