熊本城の歴史と特徴

歴史

熊本城は、熊本県にあり2021年に天守閣が復旧されたことで注目されている城です。
波乱と栄華の歴史がある熊本城は、歴史上の人物も多数関わっています。
400年の歴史を持つ熊本城は、どのような城なのでしょうか?
これまでたどってきた歴史や、特徴などを解説します。

熊本城の歴史

熊本城は、室町時代に築城された千葉城を前身とした城です。
現在の熊本城は1591年から肥後熊本藩の初代藩主である加藤清正によって築かれ、1600年頃に天守が完成し、1606年に全体が完成しています。

加藤清正は豊臣秀吉の家臣で、賤ケ岳の七本槍にも数えられた武将です。
秀吉が没した後は徳川家康に与して、関ケ原の戦いでも党軍として参戦しています。
その功績によって、藩主に任じられました。

しかし、加藤家が治めているときは犯罪性が疲弊し、お家騒動も起こり城の修理もままならない状況が続いていました。
1632年に清正の子である忠広が改易され、細川忠利が熊本城に入ります。

忠利が入城したときは本丸周辺しか整備されておらず、二の丸の一部や三の丸のほとんどは未開発の状態でした。
そのため、すぐに江戸幕府へと修繕の申出をしています。

広く開発を進め、最後となる西端の段山は明示維新まで30年を切った頃でした。
この時点で、城内の櫓は森本矢倉が焼失していたものの、それでも62もあったのです。
細川氏の治世のもと、熊本城は江戸時代のほとんどをかけて拡張されていったのです。

明治時代になると、1870年に熊本藩にあった3つの勢力の1つである実学党が政権を握って、熊本城を無用の長物として新政府に解体を願い出ました。
その願いは聞き届けられたものの、作業開始当日に解体する方針は凍結されることとなりました。

その後、西南戦争の開戦直前に大小天守は火災で焼失し、開戦後は政府軍の重要拠点となり、西郷軍の重要攻略目標にもなっていました。
太平洋戦争の終戦前には、陸軍が使用していました。

1933年には城郭や宇土櫓、監物櫓など13棟の現存建築が旧国宝保存法に基づいて国宝に指定され、城跡は熊本城跡として国の史跡に指定されます。
1945年の熊本大空襲では市街地の20%が焼失したものの、熊本城は焼失を免れています。

1955年には熊本城跡として国の特別史跡に指定され、1967年には二の丸の跡地を整備して公園が開園します。
1976年には熊本県立美術館が、1978年には熊本市立熊本博物館が設置されます。
2006年には、日本100名城の92番に選定されました。

熊本城の復元整備計画は1997年に策定され、築城400年を迎えた2007年には本丸御殿や戌亥櫓等多数の建造物が数年かけて復元されました。
しかし、2016年の熊本地震に被災し、石垣が一部崩落して石垣石も落下しました。

そして、重要文化財に指定された長塀も100メートルの範囲で倒壊し、天守や櫓の屋根瓦も落下しています。
石垣はおよそ3割が崩落、ゆるみ、膨らみなどがみられ、建造物も10棟に被害が生じていました。

2021年に長塀と天守閣の復旧工事が完了し、櫓群の解体復旧・修復工事に着手しました。
当初の予定では2036年までに全体の修復が完了するはずでしたが、2022年になって完全復旧には2052年度までかかる見通しであることが発表されました。

熊本城の特徴

熊本城は、どのような城なのでしょうか?
日本三名城にも数えられる城で、多くの魅力があります。
その特徴について、解説します。

熊本城の特徴として、敵の侵入を防ぐために石垣が急勾配となっている武者返しや、天守台と建築物の間に60センチほどの鐵具氏を刺した忍び返しなどは特に有名です。
また、籠城を想定した造りとなっていて、日本の城としては異例である地下通路などもあったことがわかっています。

本丸御殿は加藤清正が建設し、細川忠利が増築・改修を行って完成しました。
豪華絢爛な装飾が施され、格調高い建物として熊本藩の政庁にふさわしいと言われていました。

天守は、3重6階地下1階の大天守と、3重4階地下1階の小天守が連なる連結式望楼型です。
櫓は、漆喰壁に柿渋塗りの黒い外観となっているのも特徴的です。

天守閣は四面に千鳥破風が配されていて、最上階には南北に唐破風が作られています。
部屋の名前は武具にちなんでつけられていて、江戸時代には武具などが納められていました。

また、数寄屋丸の一角には地図石と呼ばれる切石によって通られた床面や側面、石段を作った半地下の空間があります。
これは、熊本城の石積みの中でも特殊な切石積みによって築かれています。
鬼門と言われる北東部には、熊本城内で唯一現存する櫓門の不開門があります。

まとめ

江戸城跡と大阪城と並び、日本3名城に選定されている熊本城は、長い歴史を持ち多くの戦乱、災害を潜り抜けてきました。
石垣や鉄串などが特徴的な熊本城ですが、特に珍しいのが日本の城としては異質な地下通路の存在です。
天守は復興されたものの、現在は櫓などの復興に取り組んでいて、完成にはまだまだ時間がかかる見込みとなっています。

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