姫路城の歴史と特徴

歴史

姫路城は、日本で初めてユネスコ世界遺産に登録され、国宝にも指定されている城です。
白鷺城という別名もある美しい城であり、400年以上の歴史があります。
姫路城は、どのような城なのでしょうか?
また、どんな特徴を持っているのでしょうか?
姫路城の歴史と、特徴について解説します。

姫路城の歴史

姫路城は、1346年に赤松貞範が築城した姫山城が起源であるという説が有力です。
その後、小寺氏が100年近く4代にわたって城代を勤めていたものの、1441年に城代であった小寺職治が討ち死にすると、山名氏が城主となり家臣の太田垣主殿佐が城代となりました。

しかし、1458年に赤松氏復興が許可され、1467年には山名氏から播磨国を取り戻した赤松政則が城主となり、本丸、鶴見丸、亀居丸を築きます。
1469年には赤松氏が新たに築いた置塩城に本拠地を移して、姫路城は再び小寺氏が城代を努めます。

その後は黒田氏に城主が変わり、1580年には後の豊臣秀吉である羽柴秀吉が城主となります。
そして、秀吉によって姫路城に城郭が築かれ、太閤丸に天守を建築して姫路城と改名しました。

秀吉は信長を殺害した明智光秀を討った後、大阪城へと移ったため1583年からは弟の豊臣秀長が入り、1585年からは城主が木下家定に代わりました。
1600年に関ケ原の戦いが起こり、戦功を挙げた池田輝政が入城します。

代々の藩主は親藩、並びに譜代大名が務めていて、池田氏の後は本多氏が城主となり、その後奥平松平家や榊原氏、酒井氏と城主が目まぐるしく入れ替わっていました。
藩主家が安定したのは、1749年に酒井氏が入城してからでした。

1869年の版籍奉還の後は、国有となり兵部省が管理しており、その後は陸軍省に引き継がれました。
そして陸軍省が全国城郭の存廃を決めた際は姫路城を存置としたものの、老朽化が激しかったため腐朽する前に除却する方針でした。

しかし、明治天皇の巡幸の際に名古屋鎮台指令長官の四条隆謌の進言で除却を見合わせ、民間へと公入札によって売却されることとなり、23円50銭で落札されました。
しかし、その後権利は放棄されて国有に戻っています。

その後は陸軍の陣地として使われることもあり、弊社を増築するために本城といくつかの屋敷が撤去されています。
また、備前丸は失火によって1882年に焼失しています。

そして、姫路城の腐朽が進んでしまったため、1877年に修繕が決定します。
その際、陸軍大佐が名古屋城と並んで姫路城を国内無比の名城と呼び、保存修理の費用は陸軍省が負担すると報告して1879年に保存が決定しました。

それでも腐朽は進み、倒壊の危険性も高まったため更に大規模な工事が必要となります。
市民からの要望も高まり、1910年に大天守や複数の小天守や櫓などを対象とした明治の大修理が予算9万円で行われることとなりました。

大正になると、陸軍を使用していない城域の一部を姫山公園として一般公開するようになりました。
そして、昭和に入り1928年に史跡に指定されます。

太平洋戦争の中で、姫路は軍需産業の拠点となっていました。
陸軍の部隊が置かれていた姫路城の白壁は目立つため、爆撃対象にされると判断されたことから城の主要部分は黒く染められた網で覆い隠されました。

それでも1945年に姫路空襲があり、城下は焼き尽くされてしまいます。
西の丸にも2発が着弾し、大天守にも焼夷弾が直撃したものの、不発であったため消失は免れました。

当時のB-29のパイロットが姫路を訪れた際は、そもそも城があると認識しておらず貴重な文化財だから避けるようにという指示もなかったことや、レーダーで診ていると単なる光る点なので認識するのは難しいと語っています。

そして、1993年に法隆寺地域の仏教建造物と共に日本で初めての世界遺産として登録されます。
それを機に保存修理計画が制定され、2009年から2015年にかけて大天守保存修理工事が行われ、平成の大修理と呼ばれました。

姫路城の特徴

姫路城の天守は、国宝5城の中で最も規模が大きいものです。
築城されてから大規模な災禍がないため、大天守や小天守、櫓など合計で100棟近い建築物が現存しているため、「不戦・不滅の城」とも呼ばれています。

近世城郭の中でも比類なき最高傑作とも言われる城で、外観が城漆喰で塗り固められた姿が白鷺の群れが羽根を広げているように見えたことから、白鷺城とも呼ばれます。
天守は大天守と3つの小天守が櫓でつながった、連立式天守となっています。

大天守と小天守、渡櫓などの連立式天守を構成する建造物を中心とした8棟が国宝に指定され、その他74棟が重要文化財に指定されています。
優美な姿が有名ですが、西国諸大名の動向を監視する重要な要衝としての役割もあるため優れた要塞としての機能も持ち合わせています。

まとめ

姫路城は国宝5城の1城であり、日本の城の中で唯一世界遺産として登録されている城です。
かつては秀吉も城主を務めていたことがあり、西国に対して非常に重要な役割を持った要衝として重視されていました。
400年以上が経過してもなお残る貴重な歴史的建造物が数多く、当時の姿のままにある姫路城は、機会があればぜひ一度は見ておきたい場所でしょう。

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