藤原道長の父である藤原兼家は、時の権力者としてだけでなく、平安時代のプレイボーイとしても有名でした。
そんな藤原兼家の正室だったのが、時姫。
浮気性の藤原兼家の妻になった時姫は、どのような人物だったのでしょうか?
今回は、時姫の生涯とエピソードについてご紹介します。
時姫の生涯
時姫の生年は不明ですが、摂津守藤原中正の娘として生まれます。
藤原兼家に嫁いだ後、藤原道隆、藤原道兼、藤原道長、超子、詮子らが生まれ、子どもに恵まれた生活を送ります。
そして、時姫は一条天皇と三条天皇の祖母にあたる人物です。
しかし、藤原兼家が摂政になる前の980年に亡くなってしまい、夫や子どもたちの活躍する姿を見ることができませんでした。
987年に孫である一条天皇が即死した後、生前の功労を称え、没後に正一位が送られます。
時姫の影響もあり、兄の藤原安親は天皇の外戚として参議に任じられ、国政を担う高官の一員となりました。
時姫のエピソード
時姫には史料がなく、詳細は分かりません。
ですが、藤原道綱の母の『蜻蛉日記』に、時姫だと思われる人物とのエピソードがあるのです。
それは、藤原兼家が「町の小路の女」と親密になっている時のエピソードです。
一夫多妻制だった平安時代、藤原兼家は様々な女性と関係を持っており、『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱の母もその1人でした。
しかし、藤原兼家は他の女性のもとに足を運んでしまうと、それまで親密にしていた女性のところへは一切通わなくなってしまいます。
そのような状況になった際、藤原道綱の母は藤原兼家だけでなく、正室の時姫にも和歌を詠んだのです。
「正室の時姫のところにも寄りつかない藤原兼家は、どこに行ったのでしょう」という和歌を時姫に詠みました。
お互いに夫藤原兼家が他の女性に夢中になっているため、寂しい思いを抱えているはずだと思ったのでしょう。
しかしながら、時姫は藤原道綱の母の和歌に対し、「私のところにいませんから、貴方のこところだと思っていました」とクールに返します。
これに対し、藤原道綱の母は、「藤原兼家が通ってこなくても、互いに慰め合っていきたい」と和歌を詠みました。
すると、時姫は「人の心は移ろいやすい」と返したため、藤原道綱の母が思っていたような、お互いに傷つき、慰め合う状況にならなかったのです。
女性同士、同じ境遇だからと分かり合いたい気持ちもあったと思いますが、時姫はどうでしょう。
確かに、藤原兼家がいない状況は、時姫とっても辛いはずです。
とはいえ、時姫の役割は夫の帰りをただ待っているだけではありません。
平安時代、子どもの教育を行うのは妻やその実家でした。
子どもたちの将来の可能性を広げるのは、時姫に任されていると言っても過言ではありません。
実際に生まれた男子はそれぞれ出世しますし、娘たちも後の天皇の母になるなど、一族を栄華に導いています。
藤原兼家の才能だけで、繁栄できたと言えるでしょうか?
時姫の教育の成果があったからこそ、一族が繫栄したと考えることもできます。
ちなみに藤原道綱の母の息子は、藤原道隆や藤原道長ほど出世しなかったと言われています。
藤原兼家が摂政になったことで、その子どもたちも注目されますが、高位まで出世できるかどうかは本人の才能や実力次第です。
いくら家柄が良くても力が伴わなければ、周囲の貴族たちから反感を買ってしまいます。
そう考えると、幼少期の教育が徹底的に行われたであろう時姫の子どもたちが政治の世界の中心となるのは、必然のことでしょう。
また時姫が落ち着いていられたのは、ひょっとすると藤原兼家の邸宅東三条殿に子どもたちと一緒に招かれたことも関係しているかもしれません。
普段は他の女性のところに通っていたとしても、夫の邸宅に招かれることは多くありません。
正室であるということの安心感が、他の女性に目移りしていても、心が乱れず冷静でいられた理由になるでしょう。
さらに時姫には、藤原兼家が気にかけるような魅力もありました。
それは、健康に子どもが育ち教育が受けられていること、不在になりがちな自分に対しうるさく言わなかったことです。
平安時代において、子どもが生まれても病気により親よりも先立ってしまうことはあり得ました。
それに加え、しっかりと教育ができる家となると限られてきます。
子どもが亡くならず、健やかに成長できる環境は、跡継ぎを残すという目的に合っているのです。
また、一夫多妻制の平安時代に関わらず、夫が不在であることを細かく問い詰めてしまう様子を想像してみてください。
人によっては、この妻のいる家では安らげないと思ってしまうでしょう。
時姫は藤原兼家の不在を責め立てることをしなかったため、疎遠にならなかったと考えられます。
時姫は、平安時代の策士とも言える人物です。
まとめ
今回は、時姫の生涯とエピソードについてご紹介しました。
時姫は藤原兼家の正室で子どもに恵まれましたが、夫や子どもたちの活躍を見る前に亡くなってしまいます。
『蜻蛉日記』の中に時姫と思われる人物とのエピソードがあり、夫の帰りを待つ女性の心情が分かるやり取りがなされています。
エピソードからは冷静な様子が読み取れますが、子どもの将来のために行動していると考えると、強かな一面を持っていることも分かります。