なぜウクライナとロシアは争いが絶えないのか?

時事ネタ

2022年に起こったロシアによるウクライナ侵攻は、世界中で大きな話題・問題になりました。
このような両国の争いは、今回が初めてではありません。
では、ウクライナとロシアは、なぜ争いが絶えないのでしょうか?
今回はこちらの点について、歴史的背景を交えながら解説したいと思います。

2022年のロシアによるウクライナ侵攻について

2022年2月24日、ロシアのプーチン大統領が「ウクライナでの軍事作戦を開始する」と述べた演説が、各メディアに対して公表された後、ロシアはウクライナへの軍事侵攻を開始しました。
ウクライナの首都・キーウ近辺を含むウクライナ各地で砲撃や空襲が開始され、ロシア側はこちらの侵攻に対し、国連憲章第51条の集団的自衛権を主張しています。
また、これを受けてウクライナのゼレンスキー大統領は、同日に戒厳令を発布し、さらに18歳から60歳の男性を原則出国禁止にする総動員令に署名し、戦争状態に入りました。
こちらは、現実空間における陸戦兵器や空襲、ミサイル攻撃等による軍事的な侵攻と、サイバー攻撃、情報戦、国際機関、国家および民間企業、団体により、事業や取引の停止という経済制裁が組み合わさった、今までにない規模で行われているハイブリッド戦争となっています。

ウクライナとロシアの歴史

東ヨーロッパに位置するウクライナは、ヨーロッパではロシアに次ぐ面積を誇り、ロシアを含む7ヶ国に接しています。
国土の大半が、作物を育てやすい平原と高原に覆われているため、古くから農業が盛んです。
ソ連時代には、ソ連最大の工業地帯とも呼ばれています。
一方で、国土が平坦で遮るものがないため、特に東側からの異民族の侵攻に弱いという側面がありました。
そんなウクライナとロシアとの関係は、中世から始まります。
現在のウクライナの地には、キエフ大公国というキリスト教を国教とする国が存在しました。
外敵や内紛などにより、10~15の国に分裂したキエフ大公国は、11世紀にモンゴル帝国によって滅ぼされます。
その過程で分離した北東部がモスクワ大公国となり、その周辺の国々を取り込んで、現在のロシアを形作っていきました。
一方のウクライナは、キエフ大公国の滅亡後、別の国として存続しましたが、1340年に王族が途絶えると、隣接するポーランドとリトアニアが取り合いを始めます。
そして、戦いの結果、北部・中部はリトアニア、西部はポーランドにそれぞれ支配されることになりました。
それ以降、分裂したウクライナの諸勢力は、リトアニアやポーランドの進化として、ロシアとの戦争に参加することになります。

長年ロシアの支配下にあったウクライナ

ウクライナに勢力を築き、高い軍事力を誇ったコサックという共同体は、どこの国からも支配を受けず、気に食わないときはすぐに反乱を起こしました。
これを危険視したポーランドから弾圧を受けると、コサックはロシアの協力を得て、ポーランドから独立するために戦争を始めます。
この戦争に勝利したことで、コサックはウクライナに独立国を作るのですが、協力を逆手に取ったロシアにつけ込まれ、結局は支配されてしまいます。
その結果、ロシアが勝手にポーランドと話を進め、ウクライナの分裂を決めてしまいます。
また、分裂した各地域は、年を追うごとにロシアに支配され、後に成立するソビエト連邦の支配下に入りますが、1991年にソ連が崩壊すると、同年にウクライナはソ連からの独立を宣言します。
ソ連の跡を継いだロシア政府がこれを承認し、ウクライナは晴れて国際社会でも独立国として認められることになりました。

その後も対立の火種が残っていた両国

しかし、これでウクライナ、ロシア両国の関係は、一件落着とはいきませんでした。
ウクライナは、東西が分裂して違う国に支配されていた時代が長く、東部はロシアとの関係が非常に深く、ロシア人も多く住み、文化や宗教もロシア寄りです。
一方、西部はかつてポーランド領だったために、ヨーロッパとの関りが強く、西ヨーロッパからの移住者も多く住んでいました。
そのため、1つの国で独立しているといっても、東部と西部の間には、対立の火種が残ったままだったのです。
その火種がついに爆発したのが、2014年に起きた反政府運動です。
それまでのウクライナは深刻な経済不況に悩まされていて、2000年代はヨーロッパと経済的に協力しようとしていましたが、2010年に選挙で選ばれたロシア寄りの大統領は、経済的に依存していたロシアに配慮し、ヨーロッパとの協定を先送りにしてしまいます。
これに対して激怒したのは、ヨーロッパ寄りである西ウクライナの国民です。
ヨーロッパとの協定締結や、大統領選挙の実施を求め、大規模な反政府デモを起こしました。

まとめ

ウクライナとロシアの争いが絶えない背景には、前述のような歴史的に複雑な関係があります。
実際、昨年のロシアによるウクライナ侵攻でも、ロシアは親ロシア派の組織が占拠している東ウクライナにおいて、ロシア系の住民をウクライナ軍の攻撃から守り、ロシアに対する欧米の脅威に対抗するという正当防衛を主張しています。
今後も、両国の関係や戦況からは目が離せません。

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