生涯、藤原道長を愛した「紫式部」

歴史

紫式部は、今からおよそ1000年前の平安時代の女性で、日本で初めての長編小説といわれる『源氏物語』を書いた女性小説家です。
しかし、その障害がどのようなものだったのかは、知らない人も多いでしょう。
紫式部は、どのような生涯を送ったのでしょうか?
人物を表すエピソードなども、紹介します。

紫式部の生涯

藤原北家良門流の越後守である藤原為時を父、摂津守の藤原為信の娘を母として、源氏物語の作者は誕生しました。
ただし、母は幼少期に亡くなっているとされています。

紫式部というのは本名ではなくペンネームのようなもので、本名は不明ですが藤原香子ではないかと言われています。
家族が式部省で役人として働いていたこと、源氏物語のヒロインが紫の上だったことからそのような名前を付けたと言われています。

幼少の頃から、一般的な女性以上の才能を見せ漢文もすらすらと読むことができるなど、才女として有名でした。
源氏物語以外にも、紫式部日記や和歌集の紫式部集が伝わっています。

自宅にある歌集や書物などは、すべて読みつくしてしまったともいわれています。
また、父が兄に中国の古典である史記を教えている際は、横で聞いていてアによる先に覚えたため、父には男の子だったらと惜しまれたと言われています。

998年に親子ほど年の差がある又従弟の山城守である藤原宣孝と結婚し、翌年に一女の藤原賢子が生まれます。
しかし、結婚生活は長く続かず1001年に宣孝が亡くなりました。

その数年後に一条天皇の中宮である彰子の女房(女性使用人)兼家庭教師として仕えることになり、少なくとも1012年頃までは仕えていました。
しかし、その前に藤原道長と源倫子が結婚した際に倫子の女房になっていたという説もあります。

源氏物語が書かれた時期は明らかになっていませんが、文献に初めて出たのは1008年のことでした。
夫と死別した1001年から書き始め、彰子に女房として仕えている間に完成したとされています。

この時代の文章は男性が書くものであり、主に漢文で書かれていました。
しかし、源氏物語はひらがなで書かれていたのです。
これは、先だって書かれていた枕草子と共通した特徴でした。

その後には、紫式部日記も書かれています。
これは、日記と手紙の形式で1008年から1010年までの宮中の様子を記したもです。
そこには、同僚の女房達の人物評や、源氏物語を読んだ世間の評判なども書かれています。

その中で、後輩の和泉式部に対しては私生活への苦言を呈しつつも才能を評価し、先輩の赤染衛門を尊敬していることも書かれています。
ところが、清少納言に対しては痛烈な批判ばかりとなっています。
これは枕草子の中で紫式部の亡夫の衣装をけなしていたからと言われているものの、宮仕えの時期は10年近くずれているので実際の面識はないと考えられています。

紫式部のエピソード

源氏物語を書いたのはどんな人物だったのか、それを示すエピソードがいくつかあります。
どのような人物だったのか、そのエピソードを紹介します。

平安時代の代表的なキャリアウーマンとされている人物ですが、実は内気な性格をしていて控えめだったと言われています。
そのせいで、宮廷に出仕したばかりの頃は先輩の女房達にいじめられていたのです。

先輩たちに仲良くして欲しいと手紙を送りますが、先輩たちには無視されてしまいます。
いじめの原因は、源氏物語を書いたことで注目されていたことでした。
元々出自に乗り気ではなかったため、職場を放棄して自宅に引きこもり、源氏物語の続きを執筆することにしたのです。

しかし、5カ月ほどすると何事もなかったように再び職場に戻ります。
その時は以前の反省を踏まえて、自分を賢く見せないように装って働きました。
それによって、周囲からは意外と親しみやすいと思われることに成功したのです。

源氏物語は、元々身内や友人に読ませるために紫式部が書いたもので、趣味の延長であり世に出すつもりもありませんでした。
しかし、それを読んだ友人などから宮中に面白いという噂が広がってしまいます。

その評判を聞いた藤原道長が目を付け、源氏物語の作者を自分の娘の彰子の教育係とすることで、宮廷内の権威を高めようとしたのです。
召し抱えられたことで、藤原道長という強大な権力の庇護を受けることになりました。

その庇護のもとで執筆をつづけ、評判はさらに高まっていきました。
当時は印刷技術がないため、世に広まるには写本をする必要がありました。
紫式部日記によると、最初は粗末な紙に書かれていたのが徐々に紙が上質になり、装丁も豪華になっていったため作者も戸惑っていたそうです。

まとめ

紫式部は、平安時代を代表する女性の1人であり、源氏物語という後世に残る名作を書き上げた才女です。
しかし、作品を書き上げるまでは結婚や死別、宮中への出仕、教育係など様々なことがありました。
元々は友人や身内に向けて書いていた作品が有名になり、1000年以上も残り続けているのです。
作者も、まさかここまで残り続けるとは思わなかったでしょう。

タイトルとURLをコピーしました