現存12城その⑨「丸亀城」

歴史

香川県丸亀市にある丸亀城は、現存天守12城の1つです。
標高66メートルの亀山にある平山城で、現存天守の中では最も小規模ですが、山麓から山頂までは4重になっていて合計60メートルとなり、総高では日本一高い城です。
丸亀城の歴史や、エピソードについて紹介します。

丸亀城の歴史

丸亀城は、室町時代初期に亀山に設置された砦が基となっています。
1597年に生駒親正が高松城を本状として亀山に支城を置き、そこから6年かけて現在まで残る城郭が完成しました。

1615年に一国一城令が出された時は亀山城も破却されるかと思われましたが、藩主の生駒正俊は樹木を利用して要所を覆い隠し、立ち入りを厳しく制限して破却を免れます。
しかし、生駒氏は1640年にお家騒動が起こり、出羽国に転封となります。

1641年には山崎家治が肥後から転封してきて、丸亀藩が立藩されました。
1643年には幕府から、キリシタンの蜂起への備えとして築城したのではないかと言われて、銀300貫を与えられた上で参勤交代も免除され、丸亀城の改修を突貫工事で行いました。

1658年、山崎氏は嗣子がいなかったため3代目で断絶して改易となり、代わりに京極高和が入封されます。
そのまま、明治時代まで京極氏の居城となっています。

明治に入ると、主御殿と三の丸の戌亥櫓が火災で焼失してしまいます。
1871年の廃藩置県で丸亀藩から丸亀県になると、丸亀城の競売の公示が出されたものの、兵部省の管轄となったことでその公示は取り消されます。

1876年から翌年にかけて、現存している建物以外の櫓や城壁などは解体されます。
1943年には、国宝保存法によって天守が当時の国宝に指定されました。
1950年になると文化財保護法によって重要文化財となり、天守は固い修理が行われます。

この解体修理を記念して、第1回丸亀お城まつりが開催され、城を東西北の三方向からライトアップするために、照明装置が設置されました。
1953年には、国の史跡に指定されます。

1957年には大手一の門・大手二の門も重要文化財に指定され、1972年に丸亀城や京極氏に関わる史料を展示するために丸亀市立資料館が開館します。
1997年に築城400年を迎え、記念祭が開催されました。

2006年には日本100名城の78番に選定された丸亀城ですが、2018年の豪雨や台風によって丸亀城跡の南西部の帯曲輪石垣と三の丸坤櫓跡石垣の一部が崩落してしまいます。
石垣は頂に近づくにつれて垂直になっていく、扇の勾配と呼ばれる造りになっています。

丸亀城のエピソード

古くからある丸亀城には、様々なエピソードが残されています。
伝説として残る丸亀城の言い伝えには、どのようなものがあるのでしょうか?
有名なエピソードについて、紹介していきます。

多くの城に人柱伝説が残されているのですが、丸亀城にも豆腐売りの人柱伝説が残されていました。
丸亀城を築城する際、石垣工事が難航したことで人柱を立てることになったのです。

それを誰にするか相談していた時、たまたま工事現場の近くを豆腐売りが通りかかりました。
当然、自分たちが人柱になろうとは考えていなかったため、その豆腐売りを捕まえて無理やり人柱にして、生き埋めにしてしまったのです。

その豆腐売りは普段なら城の付近を通らないのですが、その日はたまたま雨で豆腐が売れなかったため、普段とは違う城付近を通っていたのです。
人柱のおかげか、無事に石垣の工事は完了しました。

しかし、それ以来雨の日に石垣の近くを通ると、豆腐売りの「とうふー、とうふー」という声が聞こえてきたと言われています。
何も関係ないのに人柱にされた豆腐屋の無念が、こういった伝説につながったのでしょう。

また、石工名人の羽坂重三郎の伝説も残されています。
石垣を作ったのは、当時名人と言われていた羽坂重三郎でした。
その出来を当時の城主に褒められたのですが、そこでトラブルがあったのです。

当時の城主は、生駒親正であるという説や、山崎家治という説などがあります。
城主が完成した石垣を見てその出来をほめ、この石垣を登ることができるものはいるまいと感嘆したのですが、そこで余計なことを言ってしまったのです。

重三郎は、自分なら笏の鉄棒があればこの石垣を登ることができると言って、実際に短い鉄の棒を使って石垣を登って見せたのです。
それを見て、城主は大変驚いてしまいました。

このことが敵方に知られれば、城があっという間に攻め滅ぼされてしまうでしょう。
重三郎が敵と通じることを恐れた城主は、重三郎に井戸の調査を命じます。
そして、重三郎が緯度に入った時、その頭に石を落として殺害したのです。

それ以来、緯度に近づくと羽坂重三郎の幽霊が出るという噂が広まります。
重三郎も、油断してはだめだということでいったのかも知れませんが、そのせいで自分が殺されることになるとは思いもしなかったでしょう。

まとめ

丸亀城は、他の城にはない扇の勾配をもつ石垣がある特徴的な城で、日本一の総高の威容を持っています。
現存天守の中では最も小規模ですが、その土地の歴史の中心となっているのは間違いありません。
また、城内中央部にある二の丸には、深さが日本一の井戸もあります。
多くの見所がある丸亀城は、観光にもピッタリの場所でしょう。

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