現存12城その⑧「備中松山城」

歴史

備中松山城は、岡山県にある現存天守12城の1つです。
現存天守12城の中で唯一の山城で、標高430mの臥牛山小松山山頂にそびえ、日本三大山城にも数えられています。
備中松山城がこれまでどのような歴史を歩んできたのか、また特徴的なエピソードとしてはどのようなものがあるのかを紹介します。

備中松山城の歴史

備中松山城は、1240年に秋葉三郎重信によって大松山にまず築城され、それが1331年ごろまで小松山まで拡張されてできています。
備中松山城がある臥牛山は大松山、小松山、天神丸山、前山の4つの峰の総称です。

なお、本来は松山城という名前なのですが、同じ名前の城は全国にたくさんあったため区別がつくように備中松山城と言われるようになりました。
戦国時代には宇喜多直家と通じた庄親子に占拠されたり、毛利氏方の武将に城を落とされたりして、最終的には毛利氏の領有となったりしています。

関ケ原の戦いでは毛利氏が西軍について敗れ、江戸幕府は備中松山城に城番として小松正次・政一を置きました。
その後、城主は池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏と入れ替わっていき、最後は板倉氏が城主となりました。

1617年に池田長幸が入城したのですが、1641年に2代目の長常が嗣子のないまま没し、池田家は断絶します。
翌年に水野勝隆が入風刺、2代目の勝宗が3年をかけて天守建造などの大修築を行っています。

しかし、3代目の勝美はやはり嗣子がないまま1693年に没し、養子となっていた勝晴も1カ月後にわずか13歳で早世してしまい、水谷家は断絶します。
その後は赤穂藩主の浅野長矩が城を受け取り、家老の大石良雄(忠臣蔵で有名な大石内蔵助)が城番となります。

1695年に安藤重博が入封しますが、1711年に転封となります。
代わりに石川総慶が入封しますが、1744年に転封となり板倉勝澄が入封して、明治時代まで8代続き、戊辰戦争の際は無血開城しています。

明治になって廃城令が公布されると、山麓の城下町にあった御根小屋は取り壊され、山城は現在の5万円ほどにあたる7円で消化に売却されます。
しかし、あまりに不便な立地のため解体もされずに放置されてしまい、天守はツタが生い茂って崩落寸前になり、天守脇の平櫓は倒壊していました。

昭和になって備中松山城の調査をして記録した本が刊行されると、関心が高まって高梁町が予算を組み、修復に取り組みました。
1941年には、天守と二重櫓、三の平櫓東土塀が濃く本保存法に基づいて国宝(現在の重要文化財)に指定されます。

国宝指定を受けた3棟は、1950年に改めて文化財保護法に基づいて重要文化財に指定されています。
また、1956年には城跡が国の史跡に指定されます。

その後、高梁市が管理団体となります。
1994年から本丸の復元整備が行われていて、本丸を始めとした多くの施設が復元され、2006年には日本100名城の68番に選定されています。

備中松山城のエピソード

備中松山城の大手門跡の後方には、そそり立つ巨岩があります。
そして、その上には厩曲輪石垣が載っています。
圧巻な風景なのですが、実は崩落の危険性が指摘されています。

巨岩の割れ目には樹木が貫入しており、その成長に伴って割れ目は徐々に大きくなってきているのです。
さらに、その上に載った石垣の重みによって岩のずれが生じており、その影響で石垣が変形しつつあるのです。

その対策として、1999年から高梁市教育委員会は京都大学防災研究所と共同で、岩盤斜面に地滑りの観測をするための不安定岩盤斜面監視システムを設置し、調査・観測をしています。

臥牛山には野生の猿が生息しているのですが、それが問題になったこともあります。
猿が建造物に上って、壁や瓦を破損させるといった被害が出ていたのです。
その対策として、平成に行われた復元整備の際に主要建造物の周囲に高圧電線の策を張り巡らせ、侵入を防止しています。

また、登城のための道路わきにフェンスを設置して、猿以外にも猪などが麓に降りて農作物を荒らす被害を防止しています。
こういった獣害は、山城ならではの悩みと言えるでしょう。

また、近年は備中松山城の城主が有名となっています。
備中松山城の現在の城主は、猫のさんじゅーろーが勤めているのです。
さんじゅーろーは、平成30年7月の西日本豪雨災害の後から城に住んでいます。

猫城主さんじゅーろーは観光客に人気で、豪雨によって落ち込んだ城の入場者数をV字回復させることができました。
一時は行方不明となったのですが、懸命の捜索の末無事に戻ってきています。

まとめ

備中松山城は、現存天守12城の中で唯一の山城であり、一度はかなり荒れ果てていたものの昭和の大改修によって天守は解体修理され、土塀も補修されています。
備中松山城では本物の猫が猫城主として、城を訪れる人を歓迎しています。
9月から4月にかけては雲海が発生することがあり、その際はまるで雲の上に浮かんでいるように見えることから、天空の山城と呼ばれる幻想的な風景を見ることができます。

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