江戸時代以前に築城され、現在まで残っている天守のことを現存天守と言います。
日本にはかつて数百の城があり、その多くに天守があったのですが、現在残っている天守は現在12城とかなり少ないのです。
なぜ、現存12天守しか残っていないのでしょうか?
その理由について、解説します。
城を大きく減らした『一国一城令』
城に天守を築くというのは、城において象徴的な建造物のことを言います。
原型とされているのは16世紀中頃の大櫓とされていて、織田信長が岐阜城の大櫓の内部を高級感のある書院造にしたものが、岐阜城天守と呼ばれています。
また、信長が安土城を築城した際は大規模な5重の天守を設けており、これが今もイメージされる天守の始まりとされています。
その後、天守は豊臣秀吉の政権下でさらに豪華となり、多くの城に広まっていきました。
多くの天守が失われた原因には、大きく分けて2つあります。
その1つが、1615年の大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼした徳川幕府によって出された、「一国一城令」です。
これは、大名の居城となる城1つを除いて、城を破却するというものです。
それまでは1つの藩に複数の城があることがほとんどで、全国におよそ3,000の城がありました。
しかし、1国につき1城だけとなったことでそのほとんどが破却されることとなり、残ったのはおよそ170の城だけでした。
更に、武家諸法度が定められたことで、城が増えることはなくなったのです。
武家諸法度では、城を新たに築くことも増改築を行うことも禁止されたのです。
そのせいで、火事や地震などの災害で城が失われたとしても、その再建で天守を築くことはそのせいで、火事や地震などの災害で城が失われたとしても、その再建で天守を築くことは一部の例外を除いて認められなくなったのです。
一国一城令は、すでに戦乱の世は終わったとして、天下泰平を守るため全国諸大名の軍事力を削減するために発令されました。
戦の際は拠点となる城の多くを失ったことで、大名は戦を行うことが難しくなりました。
廃城令と太平洋戦争
大政奉還が行われて明治時代になると、全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方、通称廃城令が発布されました。
これは、全国の城郭の土地建物を陸軍が軍用財産の観点から存続、もしくは廃城を決定するというものです。
存続となった場合は、文化財として保護するのではなく陸軍の兵営地等に利用するために建造物や石垣などを整理することとなります。
そのため、若松城のように城郭建造物が取り壊される例もありました。
廃城処分は、大蔵省の普通財産として所轄転換し、学校敷地や地方団体などに売却する用地にするものです。
しかし、犬山城や松本城のように取り壊しや売却の対象になっても、現存して国宝や史跡に指定された例もあります。
この廃城令は、政府が管理する城の管理費用が大きな負担となってしまったことから発令されました。
城に使われている鉄の価値を考慮せず、燃料用の木材とし安価で払い下げられた城も多数あります。
その結果、軍が拠点とするために40余りの城が残りました。
しかし、残った城も一部が取り壊されるなどそのままでは残りませんでした。
ここでも、多くの天守が失われたのです。
天守は巨大なので、取り壊すにしろ再利用するにしろ、あるいは移築するにしろかかる費用は莫大なものとなります。
そのためほとんどは払下げられ、存続となったものの中にも後程天守が売り払われる例もありました。
例えば、現在国宝に指定されている亜松江城の天守は、当時米1俵が3円のところ180円で売り払われました。
世界遺産にも指定されている姫路城は、なんと23円50銭という安値で売却されたのです。
城が取り壊される中で、城を守るために動いた人もいます。
日本の城には建築技術や美術的価値などがあると考えて、永久保存の決定や修理などが行われたのです。
そして、第二次世界大戦が起こります。
この時、残っている城は軍事拠点として使われることが多かったため、空爆を受けることが多かったのです。
1940年代までは、20の城に天守が現存していました。
しかし、アメリカ軍による空爆で大阪城や名古屋城など7城の天守は焼失、または倒壊してしまいました。
また、1949年には失火によって松前城の天守も消失しています。
その結果残ったのが、現存12天守です。
一度失われ、近年になって再建した天守などは再建天守などとして区別されています。
そのため、現存している天守は再建されたものもありますが、そのタイミングは江戸時代の中でした。
天守が今も失われずに残っていた場合は、様々な天守を見比べることもできたでしょう。
現存12天守は、観光地となって多くの人を引き付けています。
再建天守との違いなども、比較してみると楽しいものとなるでしょう。
まとめ
かつて日本に合った多くの城が失われ、その天守も同時に失われてしまいました。
また、火災など災害によって失われてしまう例も少なくありません。
現在まで残っている天守は、非常に貴重なものなのです。
同じ天守でも、城によって大きさや内容などは大きく異なります。
歴史好きの人であれば、現存天守を見て当時に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。