二条城の歴史と特徴

歴史

二条城は、京都市中央区にある江戸時代に徳川家康が築いた城です。
二条城と呼ばれる建造物は複数あるのですが、現在二条城と呼ばれているのは元離宮二条城の別名を持つものです。
二条城は、どのような城なのでしょうか?
その歴史と、二条城の特徴について解説します。

二条城の歴史

これまで日本で二条城と呼ばれたものは4つあり、最も古いものが室町幕府13代将軍の足利義輝の御所です。
その後、織田信長が足利義昭の御所として作ったもの、同じく信長が今日の滞在中の宿所として整備し、後に皇太子へと献上したものなどがあるのです。

そして、現在二条城と呼ばれるのは最も新しいもので、徳川家康が1601年に上洛した際の宿所とするために築城したものです。
築城の際は、天下普請として西国諸大名に造営費用と労務を割り当てました。

1602年に御殿・天守の造営に着工し、廃城となった大和国の郡山城の天守が移築されました。
1603年3月に落成し、征夷大将軍補佐の宣旨を受けた家康は落成直後に入場し、将軍就任の祝賀の儀もここで行われました。

1611年に、家康は二条城の御殿で豊臣秀頼と会見しています。
1614年には大坂冬の陣が勃発し、家康は二条城を本営として大阪へと進軍します。
翌年の大坂夏の陣では、家康を暗殺する目論見が発覚して徳川方の古田織部が切腹する事態となりました。

1619年に、秀忠は娘が後水尾天皇へと入内するのに備えて二条城を改修します。
その際の縄張は、藤堂高虎と共に秀忠が自ら行いました。
翌年、娘の和子は二条城から長大な行列を作って、無事に入内しました。

1624年、将軍が3代家光に代わると、二条城は大改築が始まります。
後水尾天皇が二条城へと行幸するのを迎えるためのもので、城域が西に拡張されて新たな本丸が築かれます。
また、天守も廃城となった伏見城からの移築で、新本丸に建てられました。

行幸は1626年に5日間行われ、その間は雅楽や能楽の鑑賞会や乗馬、和歌、蹴鞠の階などが催されました。
新たに建てられていた行幸御殿は上皇になった後水尾院の御所に移築され、不要となった建物は多くが解体されました。

1634年に秀忠が亡くなり、家光が30万余りの兵を連れて上洛し入城したのを最後に、将軍が二条城に入場することは亡くなりました。
それ以降、幕末まで歴史の表舞台からは姿を消していましたが、その間に暴風雨や落雷、地震などに見舞われて建物は破損し、老朽化してしまいます。

1750年には、落雷によって天守が焼失してしまいます。
1788年に起こった天明の大火では、飛び火によって本丸御殿や隅櫓などが焼失し、破損した建物だけが修理され焼失したものはそのままとなりました。
また、1860年には京都地震が起こり、建物が傾いてしまいます。

1867年になり、15代将軍慶喜が宿所を二条城に移します。
そのすぐ後に大政奉還があり、将軍職も返上されることとなりました。
その時は1万近い兵が二条城にいたのですが、軍事衝突を避けるために慶喜は全員を大阪城へと連れて行きました。

明治になり、二条城は陸軍省の所轄に移された後で宮内省の所轄へと変わり、二条離宮となります。
明治期には当時の皇太子が10回滞在され、離宮として重要な役割を果たしています。

大正天皇即位の儀式の饗宴場としても使用され、それに伴って南門が増築されました。
1939年、昭和になると二条城は京都市に下賜されて、その翌年の1940年に「恩賜元離宮二条城」として一般公開されます。

1952年に文化財保護法が制定されると、二条城の二の丸御殿など6棟が国宝に指定され、22棟が重要文化財に指定されます。
1994年には、「古都京都の文化財」の一部としてユネスコの世界遺産に登録されました。

昭和から平成にかけては、英国のチャールズ英国王やダイアナ元妃、ハリウッド俳優のトム・クルーズなど海外から訪れることもありました。
2006年に、日本100名城の53番に選定されています。

二条城の特徴

二条城はかつて天守があったものの、現在は残っていません。
しかし、本丸御殿と二の丸御殿の2つの御殿が残されています。
特に、二の丸御殿は国宝にもなっているのです。

実は、この二の丸御殿は、現存している唯一の城郭御殿です。
本丸御殿は1788年に焼失し、1893年から1894年にかけて旧桂宮邸を移築したものなので。元々二条城とは無関係なのです。

二の丸御殿は江戸時代を代表する書院造の建造物で、歴史的にも非常に貴重な遺構です。
廊下は鴬張りになっていて、歩くと音がします。
玄関となる車寄には、様々な彫刻が施されているのも特徴です。

将軍が諸大名や公卿と公式に対面する際は、一の間を使っていました。
徳川慶喜が大政奉還の意も、ここで表明されました。
現在は、その時の様子を示す人形が展示されています。

まとめ

二条城は、数多くあった城の中でも珍しく、武将や大名だけではなく天皇なども利用していた城で、孝明天皇の仮住まいにもなったことがあり、大正天皇も即位前に何度も滞在していました。
二条城の天守は、天皇が唯一上った天守としても有名です。
離宮という名前の通り、特に近世では宮のような使われ方もされていたのです。
城としての機構よりも、御殿としての一面が重視されている城です。

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