五稜郭の歴史と特徴

歴史

北海道函館市にある五稜郭は、日本初の西洋式の城郭として知られています。
また、戊辰戦争の最後に起こった箱館戦争の地や、新選組の土方歳三最後の地としても有名です。
五稜郭には、どのような歴史があったのでしょうか?
その歴史と、特徴について解説します。

五稜郭の歴史

五稜郭は、日本の開国と共に築かれました。
1853年に浦賀沖へと黒船が来航し、それまで鎖国していた日本は開国を余儀なくされました。

そして翌年に日米和親条約が結ばれ、下田と箱館の2港が開港されます。
当初、箱館奉行所は箱館山の麓に置かれました。
ところが、2代目奉行となった堀利熙はその場所は港から近く船から砲撃されかねない場所であり、函館山に登ると見下ろすことができるため防御に適さないと判断しました。

そのため、港から3kmほど離れた場所にある亀田郡鍛冶村の丘陵地へと移転することになりました。
移転先で箱館奉行所の周囲を土塁で囲んだものが、五稜郭です。

当時は亀田役所土塁という名前になっていて、建物は1856年から、五稜郭は翌年の1857年から建築が開始されました。
また、奉行所庁舎は1861年に建築が開始され、実際に箱館奉行が奉行所を移転したのは1864年になってからであり、すべての工事が完了したのは1866年のことでした。

しかし、1867年に大政奉還が行われて新政府が箱館府を設置すると、五稜郭は1868年に箱館奉行から箱館府知事へと引き渡されたため、奉行所としては4年間しか使われていませんでした。

五稜郭はそのまま政庁として使われることになったのですが、同年に榎本武揚が率いて土方歳三も参加していた旧幕府軍が鷲ノ木に上陸して箱館府と争い、箱館府が各地で敗北したことで知事は青森へと逃走したため、旧幕府軍は無人となった五稜郭を占領して蝦夷共和国を建国しました。

それから、堤の修復や大砲の設置、濠外の堤や門外の胸壁の構築などの工事が行われ、1869年に工事は完了しました。
その後で新政府軍が箱館総攻撃を行った際は、設置した大砲で箱館港方面や七里浜に砲撃を行っています。

しかし、函館市街は新政府軍に制圧されてしまい、箱館港内から軍艦による艦砲射撃が行われて奉行所にも直撃し、死傷者が出ました。
さらに陣地を各所に築いて大砲によって砲撃を繰り返したため、旧幕府軍は夜も屋外で寝ることができない状態が続きます。

五稜郭には堡塁がなかったため、攻撃を防ぐために石垣や堤を盾にして畳を敷き、屏風を立てることでどうにか攻撃を防いでいました。
当然、そのような状態は長く続かず、数日のうちに弁天台場が降伏し、千代ヶ岱陣屋は陥落してしまいます。

そして、新政府軍は五稜郭への総攻撃を開始すると通知し、衆議を経て旧政府軍を率いる榎本武揚は降伏し、五稜郭では戦闘が行われないまま新政府軍に引き渡されることとなりました。

その後、五稜郭は兵部省、次いで陸軍省の所轄となり、奉行所庁舎や付属する建物はほとんどが札幌の開拓使本庁舎を建築する資材とするため、解体されてしまいます。
しかし、結局札幌にはその資材が運ばれず、別の場所の建設資材などに使われています。
その後、五稜郭は練兵場として活用されました。

五稜郭は1925年に史蹟として指定され、所轄は内務省に代わりました。
その後は文部省の所轄となり、戦後に文化財保護法が制定されて1952年に特別史跡に指定されました。

1964年に、五稜郭築城100年記念で五稜郭タワーが開業し、1970年からは毎年箱館五稜郭祭が開催されるようになりました。
1989年からは冬季間にライトアップを行うようになり、タワーは2006年に高さをかなり増した新タワーへと改築されました。

函館を代表する観光地となった五稜郭では、2010年に奉行所も復元されています。
観光地として、ミシュラン・グリーンガイド・ジャパンによって、五稜郭跡とその眺望が二つ星を獲得しています。

五稜郭の特徴

五稜郭は、特徴的な縄張の形で有名です。
5つの稜堡が角となって星形の五角形を形作っていて、西洋式の星形要塞であり稜堡式要塞とも呼ばれています。

従来の日本の城郭の構造では、海からの砲撃を想定しておらず実践にそぐわないと考えられたため、日本初となる西洋式城郭が採用されました。
この構造は、中世ヨーロッパで誕生して広まったものです。

五稜郭の土塁は高さ7.5メートル、幅は土台部分で30メートルあり、砲台としても利用される塁道は8メートルとなっています。
当初は土塁すべてに石垣を築く計画もあったのですが、費用と時間の面から中止となり一部に限られました。

また、五稜郭のすぐ近くには、四稜郭という西洋式要塞もあります。
これは、箱館戦争の際に新政府の攻撃から五稜郭の背後を守るために造られたもので、突貫工事を行い数日で完成したと言われています。

まとめ

五稜郭は幕末に築城され多城郭で、外国船に対しての備えとされていたものの主に戊辰戦争の中の箱館戦争で活躍しました。
現在は高さ107メートルに改築された五稜郭タワーもあり、ミシュランの二つ星も獲得して観光地として発展しています。
日本初の西洋式要塞として歴史的な価値も高いため、幕末ファンや新選組のファン、歴史好きの方など多くの人が訪れる場所です。

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