織田信長と敵対した「浅井長政」

歴史

浅井長政は、織田信長の妹のお市の夫として有名な戦国武将です。

加えて、戦国武将の中でも激動の人生を送った人物で、数々のエピソードからファンも多いです。

織田信長との同盟が、まさに波乱の人生の幕開けと言っても過言ではありません。

今回は、浅井長政の生涯とエピソードをご紹介します。

浅井長政の生涯

浅井長政は、1545年に南近江で浅井久政の嫡男として生まれます。

幼少期の浅井長政を語る上で欠かせないのが、六角氏との関係です。

下剋上の風潮により勢力を拡大した浅井氏ですが、南近江の守護であった六角氏に合戦で敗北した結果、臣従することになります。

臣従の影響は、浅井長政の人生にも及びます。

浅井長政が15歳で元服した時、六角氏との臣従関係を明確にするため、名前や婚姻の強制をさせられたため、不自由な思いをしていた時もあったことでしょう。

しかし、1560年の野良田の戦いで状況が一変します。

この時浅井長政はわずか16歳でしたが、軍を率いて六角軍と戦ったのです。

そもそもこれは、六角氏に不満を持っていた家臣らが浅井長政に期待し、クーデターを起こしたことで始まりました。

ここまでの流れは浅井家の成長物語と言ってもいいくらいで、この時に朝倉氏と臣従関係を結んだのでないかとも考えられています。

1560年代になると、織田信長から美濃国の斎藤氏との現状打破のため、同盟を提案されます。

この時、織田信長の妹のお市と政略結婚をし、美濃国攻略の足掛かりを得ることになります。

同盟関係であることで、浅井家は益々力をつけていきます。

ところが、1570年の金ヶ崎の戦いにおいて、浅井長政は織田信長を裏切ってしまいます。

裏切りの理由は不明ですが、織田信長は豊臣秀吉が殿を務めたおかげで、無事退却に成功します。

同盟関係であり、実の妹を嫁がせた織田信長からすると、簡単に許せる出来事ではありません。

その後の1570年の姉川の戦いでも対立し、1572年には織田信長が北近江に来襲してきます。

浅井長政はこの状況に応戦すべく、朝倉義景に援軍を要請しますが、劣勢の状況に変わりありませんでした。

それでも状況を打開しようとしますが、ある出来事により窮地に陥ります。

なんと、朝倉義景が積雪と兵の疲労のため、同年12月に帰国してしまうのです。

この時、武田信玄も参戦していましたが、急死してしまったため撤退せざるを得ず、織田軍が益々優勢になってしまいます。

そして1573年に織田信長が再侵攻して起こった小谷城の戦いでは、朝倉義景に援軍を要請するも不利な状況が変わらず、さらに家中で寝返りが発生する事態に見舞われます。

その結果、8月27日に父が自害し、その後9月1日に浅井長政も自害しました。

わずか29歳の若さで生涯を終え、家自体も滅亡してしまうという、何とも悲劇的な最期を迎えたのです。

浅井長政のエピソード

浅井長政は、人生の中で幾つも転機を迎えます。

その中でも大きな転機だったと言えるのは、織田信長に対する裏切りになるでしょう。

裏切りの理由は諸説ありますが、朝倉氏との関係がポイントになっていると考える説があります。

実は織田信長と同盟を結ぶ際、朝倉氏と戦わないことを約束させていたにも関わらず、約束を破ってしまったのです。

ここで浅井長政は、選択に迫られました。

それは、妻の兄で同盟関係である織田信長と、六角氏に臣従していた頃から関係があったとされる朝倉氏のどちらにつくかということです。

どちらに対しても関係は良好だったため、悩み抜いての決断だったことでしょう。

結果としては、織田信長の側につかなかったのです。

たった一つの約束事であっても、戦国の世に大きな影響を及ぼすのは間違いありません。

この判断には、織田信長も大変驚いたそうです。

織田信長は、浅井長政を気に入っており、婚礼資金を全額出して祝ったほどでした。

このような対応をしていたことから、反感があったとしても、まさか攻めてくるとは思っていなかったのです。

中立になるだろうくらいの想定をしていた織田信長の想像を超えた判断をしたことが、浅井長政の人生を左右してしまったのでしょう。

この出来事から浅井長政の義理堅い一面も知ることができますが、他にもそれが分かるエピソードがあります。

六角氏に臣従し、政略結婚をさせられそうになった時、意に沿わない結婚であったため、結婚していた期間中一切手を出さなかったのです。

同じように政略結婚をした戦国武将であっても、このような行動をとった人物は中々いません。

一説によると、政略結婚する相手の娘に同情していたとも言われていますが、どのような理由でも義理堅い人物だったからこその行動だったと考えられています。

強い戦国武将であるためには、うまく立ち回ることも必要です。

しかし、そのような器用すぎる行動を浅井長政はできなかったのでしょう。

実際のところは、穏やかで義理堅い戦国武将だったのです。

まとめ

浅井長政の生涯とエピソードについて、ご紹介しました。

幼少期から六角氏との臣従関係で意に沿わないことが多かったですが、クーデターを起こしたことで立場が変わります。

織田信長と同盟関係を結んだものの、長い付き合いであった朝倉氏との関係に悩み、その結果敵対する道を選びました。

これが一族の命運を分けることになりますが、義理堅い浅井長政らしい判断だったのです。

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