平安時代において、歴史上名を残しているのは様々な分野で優れている人物ばかりです。
中でも藤原実資は、藤原道長や藤原頼道の相談相手になっていたくらい、有能な人物だったことで有名です。
藤原実資の人柄や、藤原道長とどのような関係を築いていったのでしょうか?
今回は、藤原実資の生涯とエピソードをご紹介します。
藤原実資の生涯
藤原実資は、藤原北家小野宮流で参議の藤原斉敏と藤原尹文の娘の4男として生まれます。
祖父である藤原実頼の養子となり、最終的に従一位・右大臣にまで昇りつめました。
969年に叙爵されてから、円融天皇、花山天皇、一条天皇に仕えていきます。
1001年に権大納言に任じられ、右近衛大将と兼ねることになると、これ以降の42年間は右大将の地位に就くことになりました。
ところが1011年に三条天皇が即位すると、周囲が頭を抱える事態が起こります。
それは、三条天皇と藤原道長が不仲で対立し合い、天皇の味方がいなくなり孤立してしまったことです。
そのような状況に対して、藤原実資はできるだけ公平な立場を務めるように心がけていました。
三条天皇はその姿勢を見て、密かに頼るような関係になったのです。
藤原実資は、人に阿ることなく筋の通った人物だと評価されていますが、仕事上の賢明さが後世の評価にも繋がっているのでしょう。
1021年には右大臣を拝し、皇太子の教育官である皇太弟傅を兼ねることになります。
また、1037年には従一位に叙され、常に小野流の当主として活躍してきました。
とはいえ、晩年になると藤原道長や藤原頼道親子を世話する機会も見られており、対立関係にあるというよりは柔軟な行動もあったようです。
そんな藤原実資は、1046年に90歳で薨じます。
晩年に出家する貴族もいる中、藤原実資は現実社会で活躍することを好んだため、信仰心に厚い人物でしたが出家することはありませんでした。
この時、地位を問わず多くの人が集まり、声を上げて激しく嘆き泣いたくらいですから、有能であると同時に慕われていた人物であったことが分かります。
藤原実資のエピソード
藤原実資は、藤原道長の有名な和歌「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」を広めた当事者でもあります。
これは藤原実資の日記である『小右記』に記載されており、藤原道長が3女の威子が後一条天皇の中宮になったことを祝う席で詠まれた和歌です。
権力を得た藤原道長の様子が分かるのは、藤原実資の日記のおかげでしょう。
ここで、2人の関係についてお話ししましょう。
藤原実資は地位だけでなく、小野宮流という莫大な資産を持った貴族にあたるため、藤原道長よりも格上の貴族になります。
貴族の中には、自分よりも格下の存在を見下すような人もいるかもしれませんが、藤原実資は違いました。
権力に媚びるようなことなく、批判すべきことはしっかりと批判する人だったのです。
この性格面から、仕事において天皇を始めとする様々な人に信頼されました。
藤原道長に対してもそのスタンスは崩さなかったため、信頼していたそうです。
他方で、藤原実資は藤原道長の行いに対して、強く批判することもありました。
そのことに関しては『小右記』の中にも記載があったため、藤原道長も思うところがあったでしょう。
ですが、当時の藤原道長に対し、はっきりと意見を言えるような人物はあまりいませんでした。
どちらかというと、権力者の藤原道長に対し媚びるような貴族が多かったのです。
そのような状況の中、家柄的にも才能的にも対等に話せる藤原実資は大切な存在になっていました。
藤原道長にとっても、正直に意見を言ってくれる人物ということで信頼していたでしょう。
お互いに嫌い合う、憎み合うような関係でなく、ビジネスパートナーとして良好な関係を築いていたのです。
他にも、藤原実資の良からぬ噂が出た時も、藤原道長は彼に限ってそういうことはないと述べていたそうです。
これは、藤原実資と信頼関係があるからこそ出てくる発言でないでしょうか。
そして、藤原道長以上に評価していたのは、藤原頼道です。
『小右記』において、藤原頼道のことを批判するような記載は一切ありませんでした。
父藤原道長と違い、藤原頼道の評価が高かったことが想像できます。
また、藤原頼道も藤原実資に対し敬意を払っていたことから、礼儀を重んじている人には好意を抱いていたのでしょう。
このように朝廷でも重宝されていた藤原実資は、時の権力者からも認められ、実直に仕事をしていました。
様々な人から認められた背景には、単なる家柄でなく、本人の人となりや才能が大いに関係していることが分かります。
藤原実資がいなければ、政治はまとまらず大変な思いをしていた人もいたことでしょう。
まとめ
今回は、藤原実資の生涯とエピソードをご紹介しました。
家柄が良く、官僚としての才能にも恵まれていた藤原実資は、権力に媚びることなく誠実に仕事をし、天皇や時の権力者に一目置かれていました。
特に藤原道長や藤原頼道との関係は『小右記』に記載があるほどで、良きビジネスパートナーであったのでしょう。
藤原道長と対等に接していた人が少ない中で、藤原実資の存在は大切にされていたはずです。