藤原道隆に愛された「貴子」(高階貴子)

歴史

平安時代には、様々な和歌が詠まれています。

特に恋の歌は、現代においても共感する人が多く、高く評価されている作品も多くあります。

その中でも人気なのが、貴子が夫藤原道隆に宛てた和歌になります。

ここでは、貴子の生涯とエピソードについてご紹介しましょう。

貴子の生涯

貴子の生年は不詳ですが、高階成忠の娘として生まれます。

平安時代の女流歌人の1人で、通称は女官名である「高内侍」と呼ばれていました。

高内侍の高は名字の「高階」から、内侍は貴子が円融天皇の時代に出仕していた時の職である「掌侍」からきているそうです。

ところで、貴子が出仕していたということで、優れた才能に気づく方もいるでしょう。

高階氏は学者の家として有名で、父高階成忠も学識者として漢学に精通していました。

貴子も父親の才能を受け継いでいたため、出仕し活躍していたのです。

出仕していた頃に藤原道隆と出会い、熱烈なアプローチの結果、結婚します。

その後、嫡男の藤原伊周や定子を含めた、3男4女を儲けました。

それから、藤原道隆が出世し関白、摂政になると、定子も中宮として立てられることになります。

さらに藤原伊周も出世したため、貴子も関白の嫡妻、中宮の生母として出世することになります。

しかし、栄華は長く続きませんでした。

995年に藤原道隆が病気のため亡くなると、藤原伊周が藤原道長との政権争いに敗れます。

また、996年に藤原伊周と藤原隆家が花山院に矢を放った罪で左遷されると、その後病気のため亡くなりました。

この時、貴子はまだ40代だったそうで、病気もありますが、夫亡き後の息子たちの行く末を案じ疲弊していたことも関係しているかもしれません。

貴子にとって短い栄華だったかもしれませんが、藤原道隆や子どもたちに囲まれ、幸せな時間を過ごすことができていたことでしょう。

貴子のエピソード

貴子の有名なエピソードは、やはり藤原道隆との恋愛になります。

才能があり出仕していた貴子を見初めた藤原道隆でしたが、ある問題がありました。

それは、家柄のバランスが取れないことです。

貴子の高階氏は学者の家柄であるものの、貴族の位置からすると末流貴族。

対して藤原道隆は、朝廷の中枢にいるような家にあたりますから、上流貴族と言っても過言ではありません。

まさに、貴子にとって雲の上のような存在の人物だったのです。

そんな藤原道隆に見初められた貴子は、驚いたことでしょう。

そして藤原道隆は朗らかな性格でもあり、プレイボーイとしても有名でした。

仮に自分と結婚しなくても、家柄に見合う女性がいて、複数の妻を持つに違いないと、貴子も思ったことでしょう。

この時の貴子の和歌が、百人一首に選ばれているのです。

「忘れじの行末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな」

これは、「いつまでも忘れない」と言っても、将来のことは分からないから、その言葉を聞いた今日、命が終わってしまえたらいいのに、という意味の和歌です。

確かに、平安時代の男性貴族は一夫多妻制でしたから、他の女性のもとに通ってしまうこともあり得ます。

自分もそうなってしまうならと考え、詠んだのでしょう。

ですが、藤原道隆はアプローチを諦めませんでした。

その結果、家柄の差を超え、めでたく2人は結婚することとなったのです。

藤原道隆には複数の妻がいましたが、嫡妻としていたのは貴子でした。

熱烈なアプローチの通り、本当に好きな人を悲しませることをしなかった藤原道隆は、プレイボーイと言われていても、誠実な人だったのです。

これは平安時代における大恋愛と言えるべきエピソードで、今でも多くの人の心を動かしています。

ところで、貴子の気持ちだけが結婚の障害になったのではありません。

父高階成忠も、藤原道隆と貴子の関係を好ましく思っていませんでした。

こちらも、家柄面での釣り合いが取れないことを懸念していたのでしょう。

しかし、『古今著聞集』によると、ある後朝の別れに道隆の後姿を見て、これまで良く思っていなかった2人の仲を許したそうです。

しかもその時、「大臣に至る人なり」と、藤原道隆の将来性を見据えていたのです。

それが現実のものとなるのは、そう遠くありませんでした。

また、貴子も出世するとは、自分でも思っていなかったはずです。

末流貴族の自分がここまでの立場になれたのは、藤原道隆と結婚できたからです。

とはいえ、貴子が出世を目論んで結婚したのでないことは、多くの方が知っている通りです。

平安貴族の結婚は、政略結婚のように意図があることが多く、お互いに好き合っているようなエピソードがないこともあります。

ですが、貴子の結婚はそうでないことが一目瞭然です。

様々な制約のある平安時代でしたが、それでもお互いに好き合った人と結婚できたことに憧れを抱いた人もいるはずです。

まさにお似合いの夫婦だと、表現してもおかしくありません。

まとめ

ここでは、貴子の生涯とエピソードについてご紹介しました。

貴子と藤原道隆の結婚には家柄の差があったため、本来はお互いに避けるべき相手でした。

しかし、藤原道隆のアプローチから、貴子も好ましく思い、家柄の差を超えて結婚に至ったのです。

貴子の和歌からは、単なる政略結婚とは違った、純粋に好意を抱いている相手との恋愛模様を知ることができます。

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