名古屋城の歴史と特徴

歴史

日本の城は数多くありますが、その中でもっとも有名な城の1つと言えるのが織田信長や徳川家康と深い関りを持ち、象徴的な金の鯱などで知られる名古屋城です。
現在は名古屋の街の象徴となっている城ですが、果たしてこれまでどのような歴史を歩んできたのでしょうか?
名古屋城の歴史と、特徴について解説します。

名古屋城の歴史

名古屋城は、元々今川氏が築城した那古野城の跡地に、徳川家康が天下普請で築城した城です。
明治維新に至るまで、尾張徳川家が17代にわたって居城としていました。

1538年に当時の城主であった今川氏豊から織田信秀が奪取し、那古野城と名前を改めました。
1542年に信秀が古渡城へと移り、信長の居城となっています。

しかし、1555年に信長は清州城へと本拠を移します。
清洲城は尾張の中心となっていたのですが、関ケ原の戦い以降の政治情勢の変化や水害に弱い地形などから、1609年に家康が尾張藩の居城を名古屋に変更しました。

1610年に天下普請で築城を開始した際は、普請奉行として滝川忠征や佐久間政実など5名が任ぜられました。
また、天守台石垣は加藤清正が普請助役として築き、さらに多くの外様大名が普請助役に任じられて各所の石垣工事を担当しました。

天守台は8月末に完成し、石垣も9月ごろにはおおよそ積み終えて年末には全体が完成しました。
1612年から本格的な工事が始まり、木材の調達の遅れから壁塗りに支障が生じてしまう冬の作業になることから完成が危ぶまれた天守は突貫工事で何とか年内に完成します。

明治維新の後の1870年になると、徳川慶勝は名古屋城の破却と金鯱の献上を新政府に申し出ます。
金鯱は鋳つぶして、城地の整備の費用や武士の機能手当などに充当する予定でした。

しかし、ドイツ公使と日本陸軍第四局長代理の訴えで、1879年に山形有朋が姫路城と名古屋城の城郭を保存することを決定し、天守は本丸御殿と共に保存されることとなりました。
その後、1930年に城郭としては第1号となる、旧国宝保存法に基づいた国宝に指定されました。

1945年には名古屋大九州があり、本丸御殿や大天守、小天守等が焼夷弾によって焼失してしまいます。
戦後は焼失を免れた櫓や門、庭園などが保存され、城跡は低湿地跡と併せて名城公園となりました。

焼失した天守は、1959年に地元商店街の尽力、並びに全国からの寄付で金鯱と共に再建され、名古屋市のシンボルとなりました。
ただし、本丸御殿の復元は資金難で中止が検討され、2009年から復元工事に着手することとなりました。

また、再建された天守がコンクリート造であったことから、木造に立て直すことも検討され、2022年から2027年にかけておよそ500億円の工費で建築することが決定しました。
ただし、2019年に文化庁の文化審議会で工事の許可が下りなかったため、工期は見直しとなっています。

名古屋城の特徴

名古屋城の特徴と言えば、真っ先に思い浮かぶのが天守の上に輝く金の鯱でしょう。
元々の金の鯱は、純度80%の金でできています。
小判にして18,000両近い価値がありました。

しかし、1945年に空襲で焼失してしまい、現在は復元されたものが取り付けられています。
実は、この鯱は明治になるまでの間、3度改鋳されているのです。

金の鯱は、江戸時代においても高い価値を持つものでした。
そのため、尾張藩が財政難になるたびにその価値を当てにされていたのです。
そして、空襲の後で再建されたものが正式な2代目とされています。

また、盗難被害にも何度か遭っています。
江戸時代には、大凧に乗って近づこうとした柿木金助の伝説が有名です。
明治以降でも4度発生していて、最も近いのは1937年に起こった金の鱗58枚が盗難された事件で、犯人は大阪の貴金属買取店で売却しようとしたところを逮捕されています。

現在の金の鯱は、18kの金版が使われているもののその量は1つにつき総重量1,200kg超のうち45kg未満と、ごくわずかです。
おおよその金の価値は、数億円ほどとなっています。

本丸の北西に位置する御深井丸にある戌亥隅櫓は大きく立派な3重3階となっていて、清洲城の小天守を移築したものと言われています。
そのことから、清洲櫓とも呼ばれています。

天守は再建される際にコンクリート造となってしまいましたが、本丸御殿は膨大な史料に基づいて10年をかけ、当時を再現して復元視されています。
書院造で、広さは3,100平方メートルとかなり広大です。

当時、徳川義直が公的な対面で使った表書院とプライベートの対面で使った対面所、徳川家光上洛のために用意された上洛殿、清洲城から家康の宿を移築した黒木書院をはじめ、飾り金具や欄間なども当時のままに再現されて、当時を窺い知ることができるようになっています。

まとめ

名古屋城と言えば、名古屋を象徴するランドマークの1つとなっています。
特に有名な金の鯱も復元され、名古屋の街を見守っています。
木造での復元については現在暗礁に乗り上げた形となっていますが、耐震性などの面から回収は必要になると思われます。
歴史的な面を重視するか、現在のバリアフリーなどの利便性を重視するかは、今後sあらに話しあわれて決まるでしょう。

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