一条期の四納言の1人である源俊賢は、他の公卿と違った特徴がありました。
それは、権力が移り変わっても、どちらかに肩入れすることなく、バランスよく接していたことです。
どうしてこのような接し方ができたのでしょうか?
源俊賢の生涯とエピソードから、その理由を探ってみましょう。
源俊賢の生涯
源俊賢は、源高明と藤原師輔の3女の3男として生まれます。
父源高明は左大臣にまで昇り詰めた人物でしたが、栄えた生活は突如終わりを迎えます。
安和の変により、源高明が大宰権帥に左遷されてしまい、失脚してしまったのです。
この時、源俊賢は11、12歳くらいだったそうです。
家族が辛い思いをする中、左遷される源高明と共に大宰府に同行することを許されたのは、源俊賢であったと考えられています。
その後源高明は赦されましたが、謀略が渦巻く政界に復帰することはありませんでした。
幼少期の父の体験から、源俊賢は藤原氏の政治上の影響力について考えさせられることになります。
円融朝の975年に従五位下に叙爵し、977年に侍従に任官すると、その後は順調に昇進していきます。
そして、藤原道隆が関白だった際に、異例の抜擢で蔵人頭に任ぜられています。
この人事の背景には、藤原道隆が源俊賢を恩遇したというエピソードがあります。
そもそも藤原道隆が次の蔵人頭は誰がいいのかと源俊賢に尋ねたところ、「それは自分だ」と自己推薦したそうです。
この発言には、自分の推薦ができるほど自信があるというように捉えることもできます。
ですが、藤原道隆が人事の相談をしたということは、仕事において源俊賢を信頼している証拠にもなるでしょう。
一見自信家のように思える発言ですが、そのような発言ができたからこそ異例の出世を果たせたとも考えられます。
これにより源俊賢は藤原道隆に恩義があったため、中関白家に対し好意的に接していたそうです。
とはいえ、時の権力者である藤原道長に対し、非協力的な対応を取ったわけではありません。
藤原道長には自身の妹の源明子が嫁いでいるため、仕事面において協力的な対応をし、どちらか一方に偏るようなことをしなかったのです。
このような処世術を身に着けていたからこそ、源俊賢は確固たる地位を築けたのでしょう。
源高明に降りかかった出来事は、決して悪いことばかりでなかったのです。
三条朝になると一条朝までのように昇進をしなくなるものの、後一条朝の1017年に源俊賢は権大納言に昇進します。
最終的な官位は、正二位・権大納言になります。
1026年には官位を退くことが認められ、翌年に病篤になり出家しその次の日に69歳で薨じました。
源俊賢のエピソード
源俊賢は藤原道隆、藤原道長の両人にバランス良く接していたことで有名です。
ですが、人間ですから全く偏りがなかったとも言えません。
状況によっては、どちらかに優位に働くような行動をしていた時もあったのです。
例えば、藤原道長に対し内覧宣旨が発せられた際、源俊賢は藤原伊周に同情していたそうです。
藤原伊周は藤原道隆の息子であり、恩人の子どもになります。
本来であれば、親の跡を継いだ人事があると考えられたのですが、状況は藤原道長に有利でした。
もしかすると、藤原道隆の跡を息子が継いでほしいといった気持ちがあったのかもしれません。
しかし、源俊賢の力でどうにかできる人事ではありませんから、少なからず思うところがあったのでしょう。
そこで当時蔵人頭だった源俊賢は眠ったふりをし、宣旨を聞いていなかったふりをしたそうです。
このエピソードは『古事談』に記載されていますが、公の場での源俊賢の行動に驚かされるはずです。
そのくらい藤原道隆や中関白家に恩義があったことが、このエピソードから分かります。
他にも、『小右記』では定子の在所であった二条北宮が焼失した際に、源頼定と同車し大急ぎで駆け付けたエピソードも残っています。
定子も藤原道隆の娘ですから、一大事だと思い駆け付けたのでしょう。
貴族としての立ち回りよりも、個人の恩返しの気持ちを大事にしていたことが分かると言っても過言ではありません。
とはいえ、源俊賢は頭の働きが鋭く、学識を持ち、その時の権力者に密着していると評価されることがあります。
確かに、それぞれ時の権力者に近づいて関係性を作ったことで恩恵を得ていました。
バランスの良さも、計算のうちだったかもしれません。
ですが、仕事面の立ち回りと内面については必ずしも一致していないのでないでしょうか。
その根拠は、中関白家が没落している中でも、源俊賢は見捨てなかったところにあります。
藤原道長に時流が傾いていた時でも、先程ご紹介した2つのエピソードからも源俊賢が気にかけていたことが分かります。
評価通りの冷酷な人物だったと、一概に決めつけられないでしょう。
2人の権力者との関わりから、源俊賢の人となりが見えてくるはずです。
まとめ
今回は、源俊賢の生涯とエピソードをご紹介しました。
幼少期に父が左遷されてしまった源俊賢は、父の出来事から処世術を身に着け行動するようになります。
藤原道隆の恩遇から中関白家に好意的に接し、藤原道長が権力を握った際には協力的に接しました。
権力者と密接な関係を築くのは処世術の基本ですが、恩義に報いる一面があることも源俊賢の魅力になります。