能吏であり人付き合いが苦手だった「藤原行成」

歴史

平安貴族の中には、歌人や詩人などで名を馳せた人物が多くいます。

藤原行成の場合は書道に優れている能書家で、その書法は流れるようで優美だと評価されています。

ところで、藤原行成は役人としても才能があり、天皇や周囲の人々の信頼を集めていました。

そんな藤原行成の生涯とエピソードについて、今回はお話しします。

藤原行成の生涯

藤原行成は、972年に右大将の藤原義孝と源保光の娘の長男として生まれます。

祖父に摂政の藤原伊尹がおり、藤原行成は猶子となり生活を送っていましたが、同年中に薨じてしまいます。

さらに父の藤原義孝が急死してしまい、不幸にも一家が没落してしまうこととなりました。

しかしながら外祖父の源保光の庇護を受け、十分な教育を受け成長していきます。

また、従兄弟に花山天皇がいたため、叙爵後は天皇の身近で仕えるようになりますが、藤原兼家の策謀により外戚としての地位も失ってしまいます。

位階の上では良い地位に就くことができましたが、任官面では不遇が否めず、京官に任じられた形跡がなかった時がありました。

しかし、源俊賢の推挙により藤原行成は蔵人頭に任ぜられると、一条天皇と藤原道長の橋渡し役として信頼を得ていきます。

そして一条天皇は藤原行成の優秀さを評価し中々手放さなかったため、昇進が停滞した時期もありましたが、1007年に滅多にない二位の参議として昇進します。

後に一条天皇が崩御し、藤原道長も政界を退いた後、藤原行成は藤原頼道のサポートに回るようになりました。

1020年に権大納言に昇進したのですが、1027年の正月に体調を崩してしまい、それからどんどん体調が悪化してしまいます。

そして年末に突然倒れてしまい、56歳で薨じます。

朝廷に貢献した人物ですから、薨じたことに多くの人が驚き悲しんだことが想像できるでしょう。

ですが、実は同じ日に藤原道長も病気で亡くなっており、こちらの話題に皆が集中してしまったのです。

天皇に藤原行成の死も申し出た方が良いと大外記の清原頼隆が意見したのですが、関白の藤原頼道に勘当されたというエピソードが残っています。

最期まで藤原道長の影に隠れてしまっていますが、藤原行成がいなければ一条朝の政治は上手く進まなかったことでしょう。

藤原行成の影の努力があったからこそ、政治が回っていたのです。

藤原行成のエピソード

仕事面では高評価を得ていた藤原行成ですが、その一方では人間関係にあまり関心がなかったエピソードがあります。

『枕草子』の中には、女房たちからの辛辣な評価が記されています。

それは、人付き合いが悪く、他の人のように歌を詠むようなことがない無愛想であるという内容です。

ここまでの評価がなされたのには、理由があります。

それは、父の藤原義孝が美男であり、歌人としてとても優れていたからです。

そのような人物の子どもが、朝廷の花形職である蔵人頭に抜擢されたとなると、そこで働く女性たちは落ち着いていられません。

どんな人物なのか興味津々だったため、藤原行成が想像と違うということでガッカリしてしまったのです。

本人は真面目に仕事をしていただけなのですが、知らない間に女性から不人気になってしまったそうです。

さらに男性陣の評判も、あまり好ましくなかったとされています。

平安時代では和歌のセンスも重要であるため、藤原行成も藤原義孝の子どもだから、和歌も素晴らしいはずだと勝手に思われていました。

職場で和歌談義があった時、藤原行成にも当然意見が求められたのですが、「よく分からない」と答えたのです。

それまでの楽しい雰囲気が一変し、気まずい雰囲気になってしまったそうです。

実際のところ、藤原行成は和歌の才能が父ほど優れておらず興味もなかったため、もしかすると意見を求められても上手く返せなかったのかもしれません。

楽しく仕事をするためのコミュニケーションについて、藤原行成はあまり必要ないと考える合理的なタイプだったのでしょう。

ところで、人付き合いが苦手な藤原行成でしたが、実は親友と呼べる人物がいました。

それは、源俊賢です。

源俊賢とは年が一回り以上離れていますが、一条天皇に蔵人頭の後任として藤原行成を推挙した経緯があるため、恩人と呼べる存在になります。

これを機に周囲の人々は藤原行成の有能さを知ることになったため、出世街道に乗ることができたのです。

そんな恩義のある源俊賢に対して、藤原行成はある対応を常にしていました。

それは、源俊賢の上座には決して座らなかったことです。

後に藤原行成は源俊賢よりも高位になりますが、この対応だけは続けていました。

出仕が重なった時は、向かい合わせになるようにして、自分が上座に座らないようにしたそうです。

人間関係に関心がない一方で、恩のある人物に対しては義理堅い人であったことが分かるエピソードになります。

まとめ

今回は、藤原行成の生涯とエピソードについてお話ししました。

祖父と父が早くに亡くなってしまい、幼少期に一家が没落してしまいますが、昇進のチャンスを掴み、能吏として活躍します。

仕事面が有能である反面、周囲の人々からは人付き合いが悪いと評価されてしまう人でもありました。

源俊賢に対しては受けた恩を忘れなかったため、周囲の評判と違った姿を見ることができます。

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