「ブギウギ」のモデルとなった笠置シヅ子とはどんな人物?

歴史

023年10月から、NHK連続テレビ小説の「ブギウギ」がスタートしました。
ブギウギは、大正3年生まれの歌手である笠置シヅ子さんをモデルにしたものですが、笠置シヅ子さんがどのような人か知らない人も多いでしょう。
昭和初期から戦後まで歌手として活躍した笠置シヅ子さんについて、紹介します。

笠置シヅ子さんの歌手時代

笠置シヅ子さんは、1914年に香川県大川郡で生まれました。
現在は、東かがわ市となっています。
父親は生後間もなく亡くなり、父親の家の住み込みだった母親は陣平との結婚を許されていなかったため、乳飲み子だったシヅ子を連れて実家に戻ります。

しかし、母乳の出が悪かったため、近所にちょうど出産のために大坂から戻ってきた女性に乳をもらいます。
そして、乳をもらっていた亀井ウメがシヅ子を子どもと一緒に大坂へと連れていき、養女にしました。

1927年に小学校を卒業したシヅ子は、宝塚音楽歌劇学校を受験します。
試験で、歌唱力と踊りは認められたのですが、体形が非常に痩せ型で背が低かったため、宝塚での過酷な生活には耐えられないと思われて不合格になってしまいました。

宝塚歌劇学校には落ちてしまったシヅ子ですが、宝塚と並ぶ三大少女歌劇の1つであるOSK日本歌劇団にかつてあった養成学校の日本歌劇学校の前身である、松竹楽劇部生徒養成所を受験して合格しました。

養成所では、娘役として三笠静子の芸名をもらい、「日本八景踊り」で初舞台を踏みました。
1933年に「秋のおどり・女鳴神」に出演し、翌年には「恋のステップ」で日本コロムビアからレコードデビューを果たします。

1935年に、昭和天皇の末弟の澄宮崇仁親王が三笠宮家を創立したため、芸名の三笠姓を避けるために「笠置シズ子」に改名しました。
ちなみに、本名は亀井静子で、自身が養子だということには後年になってから気付いています。

松竹歌劇団が旗揚げした際は、1938年から参加して服部良一と出会います。
当時、日本は戦争中で、戦時色が濃くなったことから贅沢を禁じる風潮があり、長いつけまつげと目立つ化粧、身振りをしていたシヅ子は警察からにらまれることもありました。

1939年には、とうとう劇場へと出演することを禁じられてしまいます。
1941年に松竹楽劇団が解散すると、シヅ子は楽団とともに慰問活動を行いました。
同時期、「弥次喜多大陸道中」に主演として出演することが叶い、坊屋三郎や益田喜頓などと共演していました。
後にコンビを組む服部良一が映画を見て、コロムビア専属に迎えます。

「ラッパと娘」や「ホットチャイナ」などのレコードをリリースしたのですが、ステージでシヅ子が激しく踊りながら歌っているのを見た当局によって、マイクの三尺以内で歌うよう強要されてしまいます。

1945年、シヅ子は日本劇場の最初のショーから出演しています。
1947年には、代表作となった服部作曲の「東京ブギウギ」を歌い、大ヒットとなりました。

「ブギの女王」と呼ばれるようになったシヅ子は、当代随一のスーパースターとして芸能界に君臨しました。
美空ひばりも、シヅ子の物まねがきっかけで有名になったほどです。

シヅ子の特徴は、従来のように歌を利かせるだけの歌手ではなく、当時は斬新だったパフォーマンスを行う歌手だったという点です。
今ではよく行われる観客に呼びかけるというのも、当時は非常に珍しかったのです。

1948年には、黒澤明の映画にキャバレーの歌手としてワンシーンだけ登場したのですが、非常に強い印象を残していました。
1949年には、代表作である「銀座カンカン娘」の主演を務めています。

ハワイやアメリカ本土での海外公演も行っていましたが、以降は若手歌手が人気となり、ヒット曲にも恵まれなくなりましたが、ステージ出演は人気で本放送が始まったばかりのテレビにも活発に出演していました。

私生活では、吉本興業の創業者である吉本せいの息子と交際して妊娠しましたが、せいに反対されたため結婚には至らず、父親は子どもが生まれる直前に死亡してしまうという、自身の出生をなぞったような経緯がありました。

女優として

出産後は舞台出演をして引退しようと考えていたのですが、周囲の励ましで現役を続行することとなりました。
しかし、1956年に今までのようなパフォーマンスができなくなるとして、歌手を廃業して女優活動に専念することとなりました。
芸名も、「笠原シヅ子」に改めます。

再スタートの際は、テレビ局や映画会社などで「子どもを育てるためにもたくさん仕事をしなくてはならないので、今までのギャラでは使ってもらえないからどうぞ下げてください」と自らギャラを降格するよう申し出ました。

大阪弁のキャラで多くの作品に出演し、1967年にはTBSテレビで人気の歌番組の審査員を務め、1971年からは「カネヨン」CMのおばさんとして親しまれていました。
1985年、70歳で卵巣がんのため死去しました。
ちなみに、2006年には香川県を舞台とした「UDON」という映画に、遺影で出演しています。

まとめ

「東京ブギウギ」、「銀座カンカン娘」などで有名な笠置シヅ子さんは、既存の歌手とは異なるパフォーマンスで警察などににらまれながらも、観客を楽しませることを第一に考えていた人物です。
舞台にも出演し、テレビの本放送が始まると様々な番組に出演しています。
また、歌手を廃業してからは鼻歌すら歌わなかったといわれる、新年のある女性でした。
現在放送されている「ブギウギ」で、多くの人を楽しませています。

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