気性が荒い徳川家康の娘「亀姫」

歴史

徳川家康の子どもで注目されるのは、ほとんど男子です。

しかし女子の中でも亀姫は、徳川家康の長女として政治的な役割を果たします。

また、ある事件では感情的な一面を見せ、現在でも多くの人を驚かせています。

今回は、女性として戦国の世を立ち回った亀姫の生涯とエピソードについてご紹介します。

亀姫の生涯

亀姫は、1560年に徳川家康と正室の築山殿の間に長女として生まれます。

亀姫が誕生したのは、桶狭間の戦いが起こり、今川氏が討たれた後、徳川家康が独立した年でもあります。

徳川家康の人生が動き出した年に誕生した亀姫は駿府で生まれますが、1562年に母と共に岡崎城に移ります。

それから時が経ち1573年頃になると、政略結婚としての役目を果たすことになります。

この時、徳川家康は奥三河の武田氏の勢力を牽制するため、武田方の奥平氏の服従を試みていたところでした。

そこに織田信長が、新城城主の奥平信昌と徳川家康の娘亀姫の婚約を提案したのです。

婚約は提示条件の1つでしたが、早い段階で亀姫の結婚相手が決まることになります。

1575年の長篠の戦いの後に徳川家康は戦功の褒美として、1576年に亀姫を約束通り、奥平信昌の元へ嫁がせました。

奥平信昌との間には4男1女を儲け、子に恵まれた生活を送りました。

また1601年には関ケ原の戦いに勝利したことから、奥平信昌が美濃加納10万石に取り立てられた際、亀姫も加納に移りました。

この出来事から、亀姫は「加納の方」と呼ばれるようになります。

この他にも奥平信昌は初代京都所司代に命じられており、徳川家康の下へ来る前から考えると大出世を果たしたことになります。

出世の道が開けた背景には、妻が徳川家康の娘であることも関係しているでしょう。

娘の夫であるだけでなく、戦や政治などで結果を出しているならば、相応の対応をするのは当然のことです。

奥平信昌もこれほどの出世ができるとは、思ってもいなかったはずです。

その後、夫と子どもに先立たれてしまい亀姫は出家しますが、わずか7歳で藩主となった孫の後見役となり支えていきます。

そして1625年、亀姫は加納で66歳の生涯を閉じました。

亀姫のエピソード

夫奥平信昌を出世に導いた亀姫ですが、同時に気性が荒いということでも有名です。

それが分かるエピソードとして、「宇都宮城釣天井事件」が挙げられます。

これは、徳川家康の家臣であった宇都宮城の城主本多正純が、2代目将軍の徳川秀忠の暗殺を企てた事件になります。

事の大きさから本多正純は追放刑、そして家も家禄を没収する改易の罰を受けるまでに発展しました。

この一連の出来事を仕組んでいたのが、亀姫だったのでないかと考える説があるのです。

亀姫が事件を仕組んだという根拠は、同じく徳川家康の家臣であった大久保忠隣が失脚してしまったことにあります。

大久保忠隣は亀姫の娘千姫の嫁ぎ先だったため夫の親族という間柄でしたが、本多正純に不可解な形で失脚させられてしまい、疑念を抱いていました。

その背景には、本多正純の父本多正信と大久保忠隣の不和が関係していると考えられていますが、亀姫に降りかかったのはそれだけではありません。

孫の奥平忠昌が12歳の時に転封を命じられた際、後任の城主として本多正純が入ってきたのです。

経緯に違いがあるものの、本多正純が亀姫の周りで悪影響を及ぼしているという考えに至るのも無理ありません。

本多正純に対する怨みが積もり積もった結果、起こった事件なのでないかと考えられています。

他者から見ると偶然なのかもしれませんが、亀姫の視点からすると本多正純の影響で悪い出来事が続いていると考えざるを得ないのでしょう。

自分の娘も無関係でいられない状況だったため、母として何かできることを模索した結果なのかもしれません。

このような行動に出たことが真実であるならば、血は争えないことが分かります。

ここで、亀姫の母が築山殿であることを思い出してみましょう。

築山殿も、徳川家康の側室との関係で争っていました。

多くの側室と蟠りを残しているくらいの気の強さを持った築山殿の娘であるなら、亀姫も大人しい姫でなかったことが容易に想像できます。

この事件の他にも、亀姫の侍女には手討ちにされた者がいたエピソードも残っており、ここからも気の強い性格であることを知ることができます。

亀姫は奥平信昌に成功をもたらした一方で、気の強さから黒幕疑惑が浮上したり、周囲に極端な接し方をしたりと、多面性を持っている人物にも見えます。

とはいえ、女性も裏方などで行動しなければ確実に成功を収められない時代の中で、徳川家康の娘として貢献してきたのは事実です。

夫を支えてきた一面、気の強い一面も含めて、亀姫なのです。

そんな亀姫もまた、戦国の世を生き抜いた女性だと言えます。

まとめ

今回は、亀姫の生涯とエピソードについてご紹介しました。

亀姫は徳川家康の長女として政略結婚し、父が天下人となるのを裏側からサポートしてきました。

また、夫の奥平信昌が大出世を果たせたのも、亀姫の内助の功のおかげでもあります。

とはいえ気の荒い一面から周囲が大変な思いをしたり、事件の黒幕だと囁かれたりすることは、親子ならではの共通点だと言い表すことができます。

タイトルとURLをコピーしました