種里城の歴史と特徴

歴史

種里城は、青森県西津軽郡鰺ヶ沢町にあった、津軽氏発祥の地と言われる城です。
現在は城跡となり、大浦光信公の遺徳を偲んで建てられた光信公の館があるのですが、この城ではどのようなことが起こっていたのでしょうか?
種里城の歴史と、特徴について解説します。

種里城の歴史

種里城は、南部下久慈から種里へと移った三戸南部氏の一族である南部光信(後の大浦光信)によって1491年に築かれ、居城であった城です。
光信は弘前藩初代藩主である津軽為信の祖とされている人物で、津軽氏はここから始まりました。

三戸南部氏が安東氏との紛争地帯となっていた津軽西海岸を掌握するため、南部一族の光信を派遣したと言われています。
築城されたのは赤石川の上流で、種里集落の西南およそ500メートルに位置する場所で、城の前面には赤石川、背後には大柳沢山嶺があった、東向きの山城です。

光信はその後、津軽平野内陸部の岩木山麓に1502年に大浦城を築いて、養子の盛信の居城としています。
そして、光信自身は大浦氏の初代として種里城にとどまっていて、1526年に享年67で死去しました。

死後は種里城内に埋葬され、本丸跡の西南には光信公御廟所があり御廟館や御霊墓とも呼ばれています。
その近くには、殉死した奈良主水貞親の墓があります。

光信の死去以降は大浦氏の居城が代々大浦城に代わり、種里城は支城として残り江戸時代初めまで使われていました。
しかし、弘前城が完成した5年後の1615年に廃城となっています。

大浦氏はその後も代を重ね、5代目の大浦為信が南部氏の支配下から抜けだして独立し、1590年に豊臣秀吉から津軽郡支配を認められ、津軽氏を名乗るようになり、弘前藩、もしくは津軽藩の初代藩主になりました。

光信は死後、盛信によって長勝寺に祀られています。
「死後も西の備えたらん」という遺言に従って、甲冑姿のままで埋葬されたと伝えられています。

また、大浦政信は津軽家の公称系図によると光信の長女の阿久と津軽を訪れた近衛尚通との子であり、光信の孫となっているのですが、実子という説もあります。
光信の子は他にも、兼平盛純がいます。

廃城となったとも、種里城は津軽氏の聖地として保存されました。
しかし、明治時代になると遺構が破壊されてしまいます。
種里城跡となってからも、津軽氏発祥の地として大切にされています。

1988年に、種里城の跡地には資料館として光信公の館が建設されることになりました。
それに伴い、発掘調査が行われています。
その後、種里城跡を解明するために1991年から1997年にかけて学術調査が行われました。

種里城は、津軽氏城跡の一部として国の史跡に指定されています。
津軽氏城跡には、他にも弘前城跡と堀越城跡が指定されていて、名称は「津軽氏城跡種里城跡 堀越城跡 弘前城跡」となっています。

種里城の特徴

種里城は平山城と呼ばれる縄張形態で、標高は70メートル、比高は20メートルです。
遺構には曲輪や土塁、空堀などがあります。
現在は、本丸跡、主殿跡が残されています。

発掘調査の際、主郭地区では掘立柱建物群148棟、塀跡86列、竪穴建物群12棟、井戸跡19基、土杭、鍛冶炉、溝跡など多くの遺構が発見されました。
また、主郭内で最も高い平場では大型掘立柱建物跡が3回建て替えられていることなどが確認されています。

また、中国や朝鮮からの輸入品や国内各地の陶磁器の皿や椀、すり鉢などが多く見つかっています。
また、漆器の椀や皿、木箸、鉄鍋や石製の鉢なども見つかっています。

一般の道具類では、建築具の鉄くぎや鎹、武具の小札や笄、刀、密教法具具を載せるための同性の金剛盤という台、砥石、下駄、鏡など様々な種類のものが見つかっています。
また、鍛冶作業に関連する鉄ていという、素材鉄も出土しています。

それ以外にも、中国産青磁の座敷飾りや瀬戸・美濃焼の天目茶碗、茶入れ、フウロや茶臼といった茶道具も見つかっていて、城主一族がゆとりある生活をしていたことがあわかるでしょう。

種里城址がある赤石川流域は、世界自然遺産の白神山地を源流として日本海へと流れ出ています。
その周囲には様々な史跡や伝承地、光信の入部前にさかのぼる安東氏時代の板費などもあります。

在原遺跡は、種里城の城下地区にあたる遺跡です。
発掘調査が行われた際は、中世の井戸跡が見つかっています。
また、有原館跡は種里八幡宮の裏山にある遺跡で、段々の平坦地郡と堀切が残っています。

種里集落の北端には堤ノ沢館跡があり、集落に入る街道沿いには萩館跡があります。
また、種里城下を守る木戸跡があった場所には、赤森という遺跡もあります。
かつては赤森で街道が折れ曲がり、直進できないようになっていました。

まとめ

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町にある種里城は、津軽氏発祥の地として有名であり初代弘前藩主の津軽為信の先祖である大浦光信の居城でした。
光信公は今も多くの人に愛され、様々な形で祀られています。
資料館には、津軽氏ゆかりの品が数多く展示されていて、当時の様子を窺い知ることができるでしょう。
光信公が見守るこの地を訪れて、津軽氏の歴史を感じてみてはいかがでしょうか?

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