戦国乱世を駆け抜けた浅井三姉妹の中で、次女のお初(常高院)はもっとも過酷な板挟みの運命を背負った女性でしょう。
姉の茶々は豊臣家の象徴、妹の江は徳川将軍家の御台所となり、実家である豊臣と徳川は天下を懸けて激突したのです。
最後の最後まで平和への架け橋として奔走し続けた、お初の生涯を解説します。
豊臣と徳川の激突
お初は1570年頃に浅井長政とお市の方の間に生まれ、4歳で父の浅井家が滅亡して14歳で母のお市と義父の柴田勝家が自害するという二度の落城を経験したのです。 浅井三姉妹はそろって同じ苦難に満ちた幼少期を過ごすこととなったのですが、その後の歩みはそれぞれ異なります。
1587年、お初は豊臣秀吉の計らいによって従兄にあたる近江の若き名門の京極高次へと嫁いだのです。
高次は一時敵方に与しながらもお初の存在や自身の機知によって秀吉、そして徳川家康の信任を得て大名へと出世し、お初とも大変仲睦まじく過ごしました。
1609年に夫の高次が亡くなるとお初は出家して「常高院」と名乗ったのですが、彼女に平穏な日々は訪れませんでした。
時代は徳川の世へと急速に傾いて大坂城の姉・茶々と、江戸城の妹・江との対立が決定的になり、お初の立場は難しいものとなりました。
豊臣恩顧の京極家にありながら夫の遺志を継ぐお初は、徳川方と豊臣方のちょうど中間に位置する存在となったのです。
血を分けた姉と妹が、国を二分する戦いで殺し合うかもしれないという恐怖と哀しみの中で、お初は自らの役割を自覚します。
姉妹の絆を守った次女
1614年に大坂冬の陣が勃発するとお初は迷わず大坂城へと入り、徳川に抗戦する姉・茶々の精神的な支えとなったのです。 そして和睦の機が熟すと、お初は大坂方の代表として徳川方の代表であり妹・江の側近たちと命懸けの和平交渉に臨みます。
お初は粘り強い外交手腕を見せて冬の陣は一度和睦へと導かれたのですが、翌年の大坂夏の陣でお初の努力は水泡に帰したのです。
炎上する大坂城からお初は秀頼の娘の奈阿姫を救い出すのが精一杯であり、最愛の姉の茶々を救えなかった悔恨は彼女の胸に深く刻まれることになりました。
大坂の陣の後、お初は妹の江がいる江戸へと向かい悲しみを共有しながら余生を過ごすこととなったのです。
また、救い出した奈阿姫が処刑されぬよう家康に命乞いをし、鎌倉の東慶寺へ出家させることでその命を守り抜きました。
1633年、お初は多くの命と姉妹の絆を守るために祈り続けた人生を閉じ、70代(享年64〜66歳前後)で大往生を遂げたのでした。
対立する二大勢力の狭間で決して諦めずに愛する人々を繋ぎ止めようとしたお初の生涯は、戦国の世に咲いた「平和の使者」を体現していました。
まとめ
浅井三姉妹の中でも最も過酷な運命を背負って生きたお初は、従兄の京極高次に嫁ぎ仲睦まじく過ごしたものの早くに夫を亡くし、さらに姉と妹が対立する立場になったのです。 大坂冬の陣では大阪城に入って姉を支え徳川との交渉にも赴いて和睦に導いたものの、大坂夏の陣では奈阿姫を救い出して脱出し、奈阿姫の助命を家康に嘆願しました。 二大勢力の狭間で愛する人々を守ろうと奮闘する姿は、平和の使者に例えられたのです。


