豊臣秀頼の正室だった「千姫」

歴史


大坂夏の陣で大坂城から救出された千姫は、豊臣秀頼の正室でした。
これは政略結婚によるものでしたが、豊臣家の滅亡をきっかけに大きく人生が変わることとなります。
千姫はその後、どのような人生を送ったのでしょうか?
今回は、徳川家の姫である千姫の生涯とエピソードをご紹介します。

千姫の生涯

千姫は、1597年に徳川秀忠と浅井長政の3女であった浅井江(崇源院)の長女として生まれます。
祖父は徳川家康で、まさしく千姫は姫様でした。
しかし、徳川家に生まれたということで、千姫も政治的な道具として扱われる運命にありました。

7歳の時に豊臣秀頼と政略結婚し、大坂城に入りますが、大坂夏の陣では徳川家康の命により命が助かり救出されます。
1度目の結婚は豊臣家の滅亡によりなすすべなく終わってしまいますが、千姫の人生はここで終わりません。
なんと1616年に本多忠政の嫡男である本多忠刻と結婚し、正室となったのです。

実は千姫が本多忠刻に一目ぼれし、徳川家康がその恋を応援して結婚に至りました。
徳川家康も千姫の境遇に関して申し訳ないという思いがあったため、本多忠刻に対する思いを聞いた時、少しでも力になりたいと思ったのでしょう。
その後、長女の勝姫、長男の幸千代が生まれますが、ショックな出来事が起こります。

幸千代が、わずか3歳で亡くなってしまうのです。
それだけでなく、本多忠刻や姑の熊姫、浅井江が次々と亡くなってしまったため、千姫はとても落ち込んだことでしょう。
本多家を勝姫と一緒に出て江戸城に入り、出家しました。
出家後は天樹院と号し、勝姫と2人、竹橋御殿で暮らします。

その2年後、勝姫が徳川秀忠の養女として、池田光政に嫁ぐと千姫は一人暮らしになりますが、1644年になると暮らしが少し賑やかになります。
この頃、徳川家光の側室である夏(順性院)と3男の徳川綱重と暮らすようになり、徳川綱重を養子にすることで大奥に対し発言権を持つようになりました。
この影響力は、4代将軍徳川家綱の時代にも続きます。

そんな千姫は、1666年に亡くなります。
もとから肺を病むことが多く、肺炎が原因でした。

千姫の血は、第15代将軍の徳川慶喜に受け継がれています。

千姫のエピソード

7歳で豊臣秀頼と結婚した千姫ですが、夫婦仲は良かったそうです。
千姫が16歳の時に女性の黒髪を揃える儀式である「鬢削」を、豊臣秀頼が行っていたことから、政略結婚であってもお互いに思い合っていたことが分かります。

また、正室と側室の関係が悪く、大きな事件に発展したことは珍しくありません。
しかし、千姫は豊臣秀頼の側室やその子どもを受け入れていたことから、穏やかな性格の持ち主でもありました。

さらに千姫のことが分かるエピソードには、豊臣秀頼と側室との間に生まれた娘、天秀尼の助命嘆願を行い、処刑を回避し命を助けたことが挙げられます。
側室の子どもに対し、身体を張ってまで助命嘆願ができるでしょうか。

千姫にとって、豊臣家で過ごした時間はかけがえのないものだったはずです。
だからこそ、豊臣家に対してできる限りのことを尽くしたのです。
そんな千姫が、豊臣秀頼の自害に対し大きなショックを受けたのは間違いないでしょう。

前述のエピソードから、同情深い性格が分かる一方で、頑固で、許せないことに関しては誰であっても引かない性格の持ち主でもありました。
それは、千姫事件から知ることができます。

千姫を大坂城から救出する際、救出した者には千姫との結婚が約束されました。
この時行動したのが津和野藩主の坂崎直盛で、燃え盛る火の中、自身も顔に酷い火傷を負いながらも救出に成功します。
坂崎直盛のおかげで、千姫は命を取り留めたのです。

しかし、結婚となると話は別で、千姫は強く拒否しました。
なぜかというと、坂崎直盛の火傷の傷を見て気持ち悪いと思ったからです。
その他にも、坂崎直盛の選んだ公家との縁談が嫌だったからなど、理由には様々な説があります。
理由が何であれ、千姫ははっきりと意思表示をし、それを変えませんでした。

その結果、坂崎直盛は千姫を奪おうと計画したのです。
坂崎直盛の計画は江戸幕府に知られていたため成功しませんでしたが、千姫が拒否しなければ起こらなかった事件になります。

一方で一目ぼれした本多忠刻は、戦に強いだけでなく、誰もが振り返るほどの美男子だったそうです。
もしかすると本多忠刻は、千姫の好みのタイプだったのかもしれません。
たとえ命の恩人であっても、容姿や条件が合わなければ、合意できなかったのでしょう。

とはいえ、基本的には地に足がついた選択をする人物だったため、感情に流されるよりは、慎重に行動する性格だったようです。
そのため、徳川家康や徳川秀忠、徳川家光などからは、一目置かれていました。
侍女の伝記の中でも、人間離れした部分と人間臭い部分を併せ持っている人物だったようで、魅力的な人物だったことが分かります。

まとめ

今回は、千姫の生涯とエピソードをご紹介しました。
千姫は、幼い時に豊臣秀頼と政略結婚しましたが、徳川家康の命で大坂城を脱出し、新しい人生を送ることになります。
徳川家康の協力の結果、一目惚れの相手である本多忠刻で結婚し、後に大奥に対する発言力を持ちました。
豊臣秀頼との関係は良好で、側室やその子どもも受け入れていたことから穏やかな人物ですが、同時に頑固な一面も持ち合わせています。

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