戦国時代の尾張国に生きた坂井喜左衛門(さかい きざえもん)は、織田信長の叔父である織田信次に仕えた武将です。
織田家の内紛に翻弄されながらも城を守り抜いた実直な家臣であり、近年ではNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で再び注目を集めるようになったのです。
謎に包まれた坂井喜左衛門の生涯について、詳しく解説します。
坂井喜左衛門の生涯
坂井喜左衛門は生没年不詳で、坂井氏は桓武平氏の流れを汲む森山盛実の末裔とされ現在の福井県北部にあたる越前国坂井郡にルーツを持つ名門の家柄といわれているのです。
喜左衛門が仕えたのは尾張国守山城の城主であった織田信で、信次は織田信長の父である信秀の弟で信長の叔父にあたります。
喜左衛門は信次を支える年寄衆の一人として若くして頭角を現し、守山の地政学的な防衛や政務を任されるほど厚い信頼を得ていたのです。
当時の尾張は織田弾正忠家や清洲織田家などが覇権を争う群雄割拠の地であり、喜左衛門は主君の信次とともに常に緊張感のある前線で戦いの中に身を置いていました。
喜左衛門の運命を大きく変える大事件が起こったのは天文24年(1555年)7月で、織田秀孝の射殺事件です。
ある日、織田信次の家臣である洲賀才蔵が守山城下を馬で通りかかった若者を無礼者と誤認し、弓で射殺してしまうという事件が起きました。
しかし、その若者の正体は信長の同母弟である織田秀孝であり、激怒した信長のもう一人の弟の織田信行はすぐさま守山城下を焼き払ったのです。
当の信長も報復に動く構えを見せたため、総毛立った城主の信次は弁明の余地もないと悟って家臣たちを置いたまま城から逃亡してしまいました。
孤立無援の城守主君が逃げ出していつ信長たちの軍勢が攻め寄せてきてもおかしくない絶望的な状況でしたが、喜左衛門は城を捨てませんでした。
彼は同じく年寄衆であった角田新五らとともに守山城に残り、城内の動揺を鎮めて防衛体制を整え籠城を継続しました。
主君の不祥事の責任を背負いながらも、職責を全うしようとする喜左衛門の武人としての意地が垣間見える瞬間でした。
孤立した守山城に対し、信長側は武力でねじ伏せるのではなく調略のプロである佐久間信盛を派遣しました。
信盛から説得を受けた喜左衛門は角田新五とともに信長側へ寝返ることとなり、信長の命によって新たな守山城主となった織田安房守(織田信時)を城内に迎え入れたのです。
信長に帰順したことで喜左衛門は破滅を免れ、信長配下の国人衆として新たなスタートを切ることになりました。
しかし、以降の喜左衛門の動向は史料からぷっつりと途絶えてしまい、一方で彼の子である坂井孫平次は新城主の織田安房守に大変重用されたのです。
ところが、同僚の角田新五は不満に思って弘治2年(1556年)に謀反を起こし、安房守を自害に追い込むという悲劇が再び守山城で発生します。
内紛以降は息子の孫平次の行方も分からなくなっており、喜左衛門の一族は織田家の激しい権力闘争の渦に巻き込まれて歴史の闇へと消えていったのです。
大河ドラマの内容との違い
近年のメディア、特に大河ドラマ『豊臣兄弟!』において、大倉孝二演じる坂井喜左衛門は物語の序盤を盛り上げる重要なキャラクターとして配置されています。
ドラマの設定では尾張国中村の有力な土豪であり、豊臣秀長の幼馴染であるオリジナルキャラクター、白石聖の演じる直の父親です。
過去の因縁から豊臣秀吉を激しく憎んでおり、秀長と娘の交際を快く思わない頑固な父親として描かれています。
史実の喜左衛門は中村の土豪ではなく、前述の通り守山城主織田信次の立派な重臣であり、秀長の恋人となる直という娘がいたという記録も史実には存在しないのです。
ドラマでは、秀吉・秀長兄弟の極貧の青年期や初恋の切なさを際立たせるための宿敵として実在する喜左衛門の名前と土豪という属性が上手く翻案されて利用されています。
まとめ
坂井喜左衛門は守山城で織田信長の叔父である信次に仕えていた年寄衆の1人で、信次の家臣が信長の弟の信孝を射殺してしまったことで守山城下が焼き払われたのです。
信次は家臣を置いて逃げ出したのですが喜左衛門は守山城に籠城し、信長が派遣した佐久間信盛の説得により信長側へと寝返り織田信時を迎え入れて信長の配下となりました。
ドラマでは秀吉・秀長兄弟の宿敵として登場しており、史実にはない娘も存在しているのです。

